HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報590号(2017年2月 1日)

教養学部報

第590号 外部公開

難民と市民社会 ─ドイツと日本

市野川容孝

昨年九月三日から一四日までドイツにいた。到着翌日の九月四日に実施されたメクレンブルク─フォアポンメルン州議会選挙の話題で、ドイツのメディアは連日、持ちきりになった。日本でも報道されたが、同選挙で、難民受入れに強く反対する「ドイツのための選択肢(AfD)」が得票率二〇・八%で第二党に躍り出て、メルケル首相のキリスト教民主同盟を第三党(一九・〇%)にまで転落させたからだ(第一党は三〇・六%で社民党だが、社民党も前回の二〇一一年の選挙に比べ、約五%得票率を下げている)。AfDは、反EUを掲げて二〇一三年にできた新しい右派の政党である。

メルケル首相は、二〇一五年九月、難民の受入れを大きく広げる決断をした。その結果、二〇一五年の一年間でドイツに入国した難民認定希望者は一〇〇万人を超え、その三割から四割が内戦の続くシリアからの難民と言われている。しかし、メクレンブルク─フォアポンメルン州議会選挙の結果は、メルケル首相の政策に対する反対論がドイツ国民の間に確実に広がっている一つの証となった。同州議会選挙に続き、九月一八日に実施されたベルリンの州議会選挙でも、AfDは、第五党に甘んじたとはいえ、一四・二%の得票率で躍進を見せた。ドイツは来年秋に連邦議会選挙を控えているが、九月上旬に実施されたある世論調査では、二割近い有権者がAfDに投票すると答えている。

九月の滞在中に見たドイツのテレビ討論番組で、キリスト教民主同盟(CDU)所属のある政治家が、メルケル首相の決断を擁護しながら、「困難と生命の危険に直面している人たちに対して扉を閉ざすのは、キリスト教の隣人愛の精神に反している」と述べていた。キリスト教と政治をこれほどストレートにつなげる発言は、厳格な政教分離(ライシテ)の原理で動くフランスはもちろん、日本でも不可能ではないかと思うが、非ナチ化を国是としてきた戦後の西ドイツでは(ドイツ基本法、第一三九条等)、非ナチ化と合致するかぎり、キリスト教と政治の結合は肯定されてきた。むしろ排外主義的な「ペギーダ(西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者)」との境界が曖昧なAfDの方が、非ナチ化という観点からは批判的に見られてきた。とはいえ、反メルケルの動きは、キリスト教精神を掲げる与党の内部でも確実に広がっている。

一一月下旬に、あるシンポジウムに出席するため、再び一週間ほどドイツにいた。メルケル首相の難民政策もそこで議論されたが、ドイツ在住の或る日本人ジャーナリストは、メルケル首相の判断を倫理的に評価しつつ、しかし、ドイツはこれでEU内での孤立を余儀なくされてしまった、メルケル首相は自らの難民政策を押し進める際に、他のEU諸国との関係にもっと配慮すべきだったのではないか、と述べていた。経済的にも一人勝ちと他のEU諸国から見られてきたドイツは、さらに難民問題でもEU内で反発を買うことになってしまったようだ。

そして、年末の一二月一九日、買物客でにぎわうベルリンのクリスマス市場にトラックが突っ込み、一二名が死亡し、約五〇名が負傷するという痛ましい事件が起きた。チュニジア国籍の犯人は逃亡先のイタリアのミラノ郊外で射殺されたが、この青年は二〇一五年七月にイタリアからドイツに入国し、難民認定を申請して却下され、そのままドイツにとどまっていたという。イスラム国(IS)との関係も確認されたと報じられている。

この原稿を書いているのは一月上旬だが、昨年九月からの流れだけを見ても、ドイツの難民政策はこれまでの受入から、一気に拒否、さらに締め出しへと反転するような気がしてならない。

大学院総合文化研究科では、石田勇治先生、梶谷真司先生を中心に、二〇〇七年九月から「日独共同大学院プログラム(IGK)」が運営され、同プログラムは「市民社会の形態変容 日独比較の視点から」という研究プロジェクトをずっと手がけてきた。昨年九月一七日にはそのプロジェクトの一環として、シンポジウム「日本とドイツにおける市民社会─比較の視角」が一八号館ホールで開催され、日独双方の研究者がそれぞれの市民社会のこれまでを歴史的に問い直した。
総合文化研究科は、もう一つ、二〇〇四年から「人間の安全保障プログラム(HSP)」を運営してきた。難民問題は、人間の安全保障の中心に位置づくものでもある。二〇一五年にドイツで(準)難民と認定された人は約一四万人(一六年は四〇万人を超える見込み)。対して、二〇一五年に日本で(準)難民と認定されたのは、わずか一〇六名。三桁違うのである。この大きな隔たりは何に由来するのか。日独それぞれの市民社会は、難民に対してどう向き合ってきたのか。また、向き合うことができるのか。
こうしたアクチュアルな問題に応答できる研究・教育プログラムが、駒場ではすでに整えられている。

(国際社会科学/社会)

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