HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報590号(2017年2月 1日)

教養学部報

第590号 外部公開

<駒場をあとに> 駒場での良き日々

舟木直久

思い返せば駒場を初めて訪れたのは一九七〇年三月、一受験生としてでした。結果的にこれほど長く駒場の地に関わりを持つことになろうとは、そのときは想像もしませんでした。前年には東大入試の中止という事態が発生し、学生たちが世の中を動かそうと考えていた時代でした。私自身は地方から上京し、右も左もわからずカルチャーショックを受けるような学生でした。現在のようなインターネット社会ではなく、地方と都会の情報格差は遥かに大きかったと思います。今回一緒に定年を迎えることになった片岡清臣さんとは、偶然にも教養学部のクラスが同じで、長く友人としてお付き合いいただきました。大学院当時の指導教官は教養学部数学教室の上野正先生でしたので、セミナーは駒場で行っていました。修士論文作成時には、青本和彦先生、髙橋陽一郎先生も毎週セミナーに付き合ってくださり、学生一人先生三人の何とも贅沢なセミナーでした。確率論の丸山儀四郎先生は、長い計算ができるから新聞広告の裏が一番いいんですよと仰られ、広告(現在とは違い片面印刷が多かった)をこちらに向けながらセミナーで話をされていたのが今となっては懐かしい思い出です。

その後、広島大学、名古屋大学にお世話になり、駒場に戻ってきたのは一九九五年十月のことです。時を同じくして、数理科学研究科のⅠ期棟が建ち、それまで本郷にいた人たちが駒場に移動し数理科学研究科が実質的に一つになりました。人によっては、本郷からいったん一研とよばれた、現在図書館がある場所に建っていた旧駒場寮南棟の研究室に入り、そこからⅡ期棟が完成した二年半後に再度引っ越しをされた方もいます。私については引っ越しを一度で終えられるよう取り計らっていただいたわけで、このご配慮は今でもありがたく思っています。駒場に戻ってきた当時、まず驚いたのはキャンパスがとにかく汚いことでした。紙切れ、弁当カスなどのごみが至る所に散らかり放題でした。その当時と比べると現在のキャンパスは整備され、本当にきれいになりました。駒場寮廃寮の問題の解決を経て、新しい建物が次々に建てられキャンパスの様子は大きく変化しました。これもひとえにこの問題に関わりご苦労された先生方、事務の方々のご尽力の賜物と感謝いたしております。

私の研究分野は確率論です。特に、流体力学極限とよばれる統計物理学と関係する問題や確率偏微分方程式に興味を持って研究を行ってきました。ただ、これらのテーマは大学院生のころからまったく変わっておらず、振り返ってみると大して進歩していないような気もします。日本の確率論は伊藤清先生に端を発し、よき伝統を受け継いでいます。最近は、四年に一度開催されるICM(国際数学者会議)で、確率論分野、特に統計物理学や確率偏微分方程式に関わる研究者が三回連続してフィールズ賞を受賞し、この分野の認知度が高まっていることは大変嬉しいことです。

駒場では、良き先生方、良き同僚、良き事務の方々、良き学生たちに恵まれ、本当に居心地の良い日々を送ることができました。数学の研究には自由な連続した長い時間が必要です。若手研究者の研究環境が厳しくなっているのは憂うべき状況ですが、よい意味で互いに干渉しない、最低限のことを行えばあとは自由でいられるという数理科学研究科の雰囲気が、これからも長く続くことを願っています。着任時には東京大学は六〇歳定年ということでしたが、定年延長により思いがけず五年も長居することになりました。この五年の間に日本数学会の運営にも関わることになり、力不足でしたが、二〇一四年ソウルICMで日本フォーラム(レセプション)を開催するなど、貴重な経験もさせていただきました。

数理科学研究科とともに歩んだ二〇年余り、着任当時の研究科長の落合卓四郎先生を始めとして、多くの方々のお世話になり良い時を過ごすことができました。皆様のお蔭と感謝しています。東京大学駒場キャンパスのますますのご発展を心よりお祈りしています。

(数理科学研究科)
 

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