HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報593号(2017年6月 1日)

教養学部報

第593号 外部公開

<時に沿って>明るく楽しく美しく

谷本道昭

593-4-3.jpg二〇一七年四月に言語情報科学専攻に助教として着任いたしました。十九世紀フランスの作家バルザックについて、同時代の出版、活字メディアとの関わりを注視しながら研究しています。長い間フランスに留学していたものの、映画、音楽、舞台鑑賞といった学外での学びに精を出しすぎたため博士論文を書き終えることなく帰国し、帰国後は非常勤講師の仕事をしながら執念深く論文の執筆を続け、昨年ようやくパリ第七大学に論文を提出し学位を取得することができました。大学院時代をすごした駒場では、先生方をはじめ多くの方々のお世話になりましたので、これから少しでもお役に立つことができればと思っています。

なじみのある駒場キャンパスであるからこそ、心持ちを新たにして勤務に臨まねばなるまい、と柄にもなく殊勝なことを考えていたところ、不意にわが母校の小学校の校歌の一節が頭をよぎりました。「明るく楽しく美(うるわ)しく」というのがその一節で、同じ小学校に通っていた兄姉の影響もあって、私にとっては園児の頃からお気に入りのフレーズとなっています。ふりかえってみると、これまで、新しい挑戦をしようという時や難題に向き合う時など、様々な局面でこの一節に励まされ、後押しされてきた気がします。それにしても、大人になってからしみじみ実感するのは「明るく楽しく美しく」あることの難しさです。日常生活でも、ましてや研究や論文執筆に打ち込んでいる時などは、どうにかして「明るく楽しく」過ごすことはできたとしても、「美しく」となるとぐんとハードルがあがってしまいます。

「時に沿って」ますます重みを増していくこの一節を生み出した作者はただ者ではなさそうだ、と、この機会に調べてみたところ、わが母校の校歌は一九五四年に詩人大木惇夫が手がけたものだということがわかりました。詩人の娘であり、優れた文芸編集者として知られる宮田毬栄による渾身の伝記によると、まさにその頃、詩人はキャリアのどん底にあったらしく、戦中に軍歌の作詞を数多く手がけたことから戦争責任を問われ、詩壇から事実上追放された大木は、敗戦後は校歌や社歌の作詞を無数に手がけることでかろうじて身を立てていたとのこと。おまけに私生活では莫大な借金や複雑な女性問題を抱えており、右を向いても左を向いても暗く辛い現実に苦しめられていたようです。とすると、「明るく楽しく美しく」という一節は、苦しい状況にあった詩人が自らを鼓舞するための標語として編み出したものなのかもしれません。あるいはそこには同時に、せめて子どもたちにはそのようにあって欲しいという親としての願いが込められていたのかも……

はからずも話が重く真面目な方向に流れてきてしまいましたが、まだまだ駆け出しの身の私としては、これからもあまり気負うことなく「明るく楽しく美しく」ありたいと願っています。みなさまどうぞよろしくお願いいたします。

(言語情報科学/フランス語)
 

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