HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報594号(2017年7月 3日)

教養学部報

第594号 外部公開

<時に沿って>変わるもの、変わらないもの

鈴木貴之

二〇一七年四月に広域科学専攻相関基礎科学系に着任しました鈴木貴之と申します。学部後期課程では学際科学科科学技術論コース、前期課程では哲学・科学史部会の所属となります。専門は心の哲学で、なぜ脳のある部位が活動すると痛みが生じ、別の部位が活動すると赤い色が見えるのか、というような問題に取り組んでおります。どうぞよろしくお願い申し上げます。
私は一九九二年に文科三類に入学し、文学部哲学科に進学したのち、自分が勉強したいことをやるなら駒場だということに遅ればせながら気付き、総合文化研究科の大学院に進学しました。二〇〇六年に名古屋にある南山大学に就職するまで、二年間のUTCP特任研究員時代を含め、計十一年間を駒場で過ごしたことになります。

ということで駒場の勝手はよくわかっているつもりだったのですが、十年以上のブランクを経て教員として着任してみると、さまざまな変化に気づかされます。

そのなかには、目に見える変化も多くあります。かつての駒寮は新しい生協と学食になり、かつての生協と学食は近代的な教育棟になっていました。私の研究室は十四号館にありますが、私が入学した頃、この一角は駒場でも新しくきれいなエリアで、キャンパス東側が古い建物の多いエリアという印象でしたが、いまやすっかり逆転してしまいました。
組織面でも変化があります。私の所属する科学史・科学哲学研究室は、かつて教養学科、基礎科学科の一部でしたが、現在では学際科学科の一部となっています。

もちろん、変わらないものもあります。新緑の季節の銀杏並木はあいかわらずきれいです。一号館の古びた感じも変わりません。駒下のみしまや苗場も変わりませんね。
では、目に見えないものはどうでしょう。私が駒場で学んできてもっともよかったと思う点は、駒場の知的にオープンな雰囲気です。(すくなくとも私の知っている範囲では)駒場の先生方は、権威主義とは無縁で、学生と学問そのものについてフランクな態度で議論し、他分野の研究者とも積極的に交流を進める人達、という印象があります。

このような駒場の目に見えない伝統は、いまも健在でしょうか。近年、どこの大学でも教員の仕事は増えるばかりです。私も、働きたくないから大学教員になったのにな、こんなつもりではなかったのにな……と思うことがしばしばあります。駒場キャンパスも例外ではないでしょう。駒場に着任したという話をすると、たいていの人はおめでとうと言ってくれるのですが、駒場出身者には、おめでとう……と言っていいのかな、とか、大変だね、と言われてしまいます。

駒場キャンパスも、一昔前と比べて心の余裕を保つのが難しい環境なのは間違いないでしょうが、自分が感じてきた駒場の魅力を受け継ぎ、伝えていくことに、微力ながら貢献できればと考えております。

(相関基礎科学/哲学・科学史)

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