HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報595号(2017年10月 2日)

教養学部報

第595号 外部公開

新しい天然有機化合物を追い求めて

浅井禎吾

筆者がこれまで進めてきた研究に対して、文部科学大臣表彰若手科学者賞を頂いたことから、本欄への執筆機会を頂きました。今回、私の研究経緯を踏まえて、前期課程の学生さんには馴染みがあまりない天然物化学研究について紹介させて頂きます。

生物は様々な物質をつくりながら生きています。このうち、糖、アミノ酸、脂質、核酸など生命活動に必須な物質を一次代謝産物、生命活動に必須ではない独特な物質は二次代謝物と呼ばれています。二次代謝物は、真の役割はあまり良く理解されていませんが、生物がより優位に生存して行くために巧みに利用されていると考えられています。例えば、周囲の微生物の生育を阻害する抗生物質、摂食を阻害するための毒物、受粉の媒介者を引き寄せる色素などが挙げられます。人類は古来より、こうした二次代謝物を薬、毒、香料や染料など、様々な用途に利用してきました。このように、自然の恵みである天然有機化合物、主として二次代謝物を扱う研究分野が天然物化学研究です。化学(有機化学や生化学)と生物学(遺伝子工学や分子生物学)の境界領域に位置しています。天然物化学研究は、新しい化学構造や機能を有する天然物の発見を目的とする「天然物探索研究」、天然物を化学合成する「全合成研究」、天然物の生産に関わる遺伝子や酵素の同定と解析を目的とする「生合成研究」、天然物の機能を分子レベルで解明することを目的とする「天然物ケミカルバイオロジー研究」などに細分化されます。本学でも、薬学部や農学部には伝統ある天然物化学の研究室があり、いずれも素晴らしい成果を世界に発信しています。教養学部では、昨年度立ち上げたばかりですが、私の研究室が初めての天然物化学の研究室だと思います。

私と天然物化学の出会いは卒研配属先を探している時でした。当時東工大理学部化学科で有機化学系の研究室は四つありました。二つは天然物の全合成を行っており、一つ生合成研究の部屋でした。そしてもう一つが天然物探索研究も行っている部屋でした。卒研から学位取得までお世話になった藤本善徳教授に話を聞きに行ったとき、コロンビアの植物から新しい化学構造や薬理活性を有する天然物の探索を行っているという熱のこもった話を聞き、自分のやりたかった研究はこれだと直感したことを覚えています。天然物探索研究は「ものとり」ともよばれ良く宝探しに例えられます。世界で初めての化学物質を発見するというロマンに魅せられて以来、「ものとり屋」として今日まで研究を続けています。研究手法は、二次代謝物の混合物の単離精製とNMRなどの機器を用いた化学構造の決定を中心としており、研究室ごとに大差はありませんが、どのような生物材料を扱うかというところに研究の独自性が出てきます。私は、博士論文研究において、植物の表面に分布する腺毛という微細な分泌組織に着目し、新規天然物の獲得とその化学的な性質から腺毛の機能を明らかにすることを目指しました。残念ながら、腺毛の役割を解明するには至りませんでしたが、学内の中庭、路地、実家の畑など、身近な植物から多種多様な新しい天然物を発見することができました。このように探索資源を工夫すれば、まだまだ新しい天然物を発見できると実感しました。

さて、博士課程三年の初夏、縁あって東北大学大学院薬学研究科に助手として赴任することになりました。着任を契機に、生物材料を植物から糸状菌、いわゆるカビへシフトしました。このころ、次世代シーケンサーが登場し、糸状菌のゲノムも次々に解読されるようになっていました。天然物は、生物のゲノム上にコードされる生合成遺伝子が転写・翻訳された生合成酵素の化学反応によって作られます。ゲノム解読が進むにつれて、糸状菌のゲノム上にはこれまでの研究で明らかにされた天然物の多様性を遥かに凌ぐ種類の二次代謝物の生産に関わる遺伝子がコードされていることがわかってきました。これらは、未利用生合成遺伝子や休眠生合成遺伝子と呼ばれています。私は当時の上司である大島吉輝教授の計らいもあり、新しい研究をスタートさせて頂けることになりました。数ヶ月考えた後に、糸状菌の未利用生合成遺伝子を活用する多様な新規天然物の創生研究を開始しました。ここでは、エピジェネティック制御を低分子化合物で人為的に変化させたり薬剤耐性変異を付与したりすることで、通常の培養では生産されない天然物を生産させる方法を確立し、多様な新規天然物の取得に成功しました。これは天然物の多様性を拡充させるものであり、創薬研究を発展させる成果であると評価して頂き、今回の受賞に至りました。

さて、現在駒場では、新たなチャレンジとして「ポストゲノム型天然物探索」に取り組んでいます。これは、始めにゲノム情報を解読し新しい天然物の生合成に関わりそうな遺伝子候補を探し出します。これを「ゲノムマイニング」と呼びます。ゲノムマイニングで見出した遺伝子をモデル糸状菌で強制的に異種発現させることで目的二次代謝物を生産させる、遺伝子資源と生産ホストを分離した、これまでとは全く異なるアプローチの天然物探索法です。どの程度の遺伝子資源が利用可能かは現時点ではわかりませんが、これまでの化合物とは特徴の大きく異なる独創的なものがまだまだ眠っていることは確かですので、これら遺伝子情報を天然物へと具現化することで、新たな医薬品の探索源を供給できると期待して研究を進めています。

私は、天然物化学研究を発展させるためには、様々な分野のテクノロジーをうまく取り入れる結びつけることが重要だと考えています。それには、バックグラウンドの異なる多様な分野の研究者と相手の土俵で研究の会話ができる幅広い知識が必要になります。その意味では、駒場のように多様な研究室が集まっている場所は、天然物化学研究を推進するのに最適な環境と考えていますし、教養教育の重要性も実感しています。日本の天然物化学は歴史的にも世界をリードしてきた背景があります。是非、天然物化学研究に興味を持つ学生さんが増え、日本の天然物化学研究を盛りあげる研究者が東京大学駒場キャンパスから輩出されるよう、微力ながら尽力して行きたいと考えています。

(生命環境科学/化学)

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