HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報598号(2018年2月 1日)

教養学部報

第598号 外部公開

駒場をあとに「紅もゆる丘」から「ああ玉杯」へ

俣野 博

一九九五年九月に数理科学研究科棟の一期工事が完成し、本郷から駒場に引っ越してきてはや二十二年あまりが過ぎた。私の出身大学は京都大学で、実家も大学のすぐ近くにあった。幼少期に島根県に二年間住んだのを除くと、ずっと京都で育ったので、京都の外のことはあまり知らなかった。ところが大学院博士課程の途中で東大理学部の助手に採用されて初めて東京に住むことになった。一九七九年のことである。環境は大きく変わったが、東京での生活は思いのほか楽しかった。京大と東大の雰囲気の違いも感じ取ることができた。その後、広島大学理学部に六年間勤務し、一九八八年に再び東大理学部に助教授として戻った。振り返ると、かれこれ三十二年以上、東京大学にお世話になったことになる。

数理科学研究科が発足したのは一九九二年のことで、理学部数学教室と教養学部数学教室、それに教養学部基礎科学科の一部が合併してできた独立大学院である。発足当初は自前の建物がなかったので、理学部数学教室から合流したメンバーは本郷にとどまり、教授会などの会議のたびに駒場に通っていた。やがて九五年に研究科の第Ⅰ期棟が完成すると、本郷のメンバーが駒場に移ってきてキャンパスの分散はひとまず解消され、九八年に第Ⅱ期棟が完成して、ようやく全教官が同じ建物に入ることができた。

駒場に移ってきた当初は、現在の矢内原公園は鬱蒼とした林で、ファカルティハウスの場所には旧制第一高等学校の同窓会館和館があり、今とはずいぶん趣が異なっていた。歴史を感じさせる独特の雰囲気がキャンパスを包んでいたように思う。あれから二十年近くが経ち、駒場キャンパス全体の整備が進んで、景観がずいぶん変わった。建物やその周辺がきれいになり、学生の憩いの場が増えたのは大変良いことだと思う。その一方で、私よりずっと昔から駒場を知る人の中には、駒場特有の文化が薄れていくのを寂しく感じている方もいらっしゃるのかもしれない。

本郷にいたときは、理学部数学科と大学院の講義だけを担当しており、前期課程の微積分や線型代数を教えることはなかった。しかし駒場に移ると、当然のことながら教員全員が前期課程から大学院までの講義を担当することになった。これは自分にとって新しい経験だった。本郷の理学部数学教室のときと比べると、教員や事務員の数も増え、研究科がカバーする研究領域も広がって、それだけでも環境が大きく変化したが、教育の面でも、高校を出たばかりの一、二年生の講義を担当するのは、新鮮であった。

ある年に、私が担当した一、二年生対象の全学ゼミナールで、クーラン・ヒルベルトの古典的名著である「数理物理学の方法」の英語版を輪読した。その年の私のゼミナールの履修者はとくに熱心な学生が多く、輪読はすこぶる順調に進んでいった。履修者の一人に、理科三類のM君という学生がいた。その彼が、医学部卒業の前年に突然私の研究室を訪ねてきた。全学ゼミ以来久しぶりに見る顔だったので、何事かと思ったら、大学卒業後は医者にならずに進路を変えたいという相談だった。M君は、自分が医者よりも、もっと数学に近い研究に向いていると感じており、将来は数理生物学の研究者をめざしていると言う。そのために米国に留学したいが、長らく数学から遠ざかっていて知識が不足しているので、それを留学前にどう補ったらいいかアドバイスしてほしいという話であった。私はM君の依頼を快諾し、交流が始まった。とくに、彼が卒業してから米国のニューヨーク大学大学院に留学するまでの半年間は、研究生として私の研究室に定期的に通ってもらい、いろいろな数学の文献を一緒に読んだり、議論したりした。留学したM君は、米国ですぐに頭角を現し、早くから幾つかの賞を受賞した。現在はミネソタ大学数学科の准教授を務めており、数理生理学の分野で国際的に最も注目される若手研究者の一人となっている。ここ数年は、私が彼から数理生理学のことを教えてもらう形で共同研究を続けている。

駒場にいる間に、このM君を含めて、いろいろな学生さんたちとの出会いがあった。その一つ一つが貴重な思い出である。

はじめに述べたように、私の実家は京都大学のすぐ近くにあり、大学に入学すると、高校のときより通学時間がずっと短くなった。キャンパス横の吉田山の山頂付近には、旧制三高の寮歌「紅もゆる丘の花」の石碑があり、子供の頃は、しばしばその周辺の木に登って遊んでいた。当時は、大きな自然石に刻まれた「紅もゆる」の文字の意味もよくわからなかったが、昔の高校の寮歌だということは親から聞いていた。その頃の私には、東京大学も旧制一高も遠い未知の世界であった。その自分が、三十年以上のちに、「嗚呼玉杯に花うけて」の寮歌で知られる旧制一高のキャンパスで働くことになろうとは、夢にも思わなかった。そして今、その思い出の多い駒場を去ろうとしていることに感慨を禁じ得ない。

(数理科学研究科)

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