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最終更新日:2022.11.07

教養学部報

第598号 外部公開

駒場をあとに「Blowin' in the Komaba Wind」

松田良一

「つひに行く道とはかねて聞きしかど…」。いつも年度末になると教養学部報に「駒場をあとに」が掲載され、楽しみに読んできた。ついにその原稿の筆をとる段になり、今更ながら、時の流れを想う。ニューヨークから駒場に赴任して以来、二十七年間。自分は何をやってきたか……?

⑴「筋ジストロフィー研究」。私は骨格筋の発生と変性、再生について研究してきた。厚生省の筋ジストロフィー研究班に入り、疾患モデルであるmdxマウスを用いて病態解明と治療法の開発を始めた。班員は毎年、班会議で研究成果を発表し、評価を受ける義務がある。ところが、一九九三年の班会議の直前になっても成果がでない。慌てた私は学部生時代に使っていたエバンスブルーという生体染色色素をmdxマウスに静脈注射してみた。これが大当たり。筋変性部位のみが青く染まった。筋細胞膜が破たんし、透過性が高くなるからだ。色素が入った筋ファイバー数を数えるだけで、筋変性度が測定できる。この方法はmdxマウスを用いた薬物や遺伝子治療の効果検定法として世界中で使われ、引用論文数も三百を超えた。その後、大学院生やスタッフらと筋衛星細胞の活性化機構を探り、リンの摂取制限による筋ジス炎症の軽減化を明らかにした。さらに、ナンセンス突然変異型遺伝性疾患のリードスルー治療薬として承認済み抗菌物質アルベカシンを適用外使用することを提案し、医師主導治験まで進んだ。

⑵全学自由研究ゼミナール「生命科学の現在」を二十年余にわたり開講した。これは学生を教室から生命科学の研究現場に連れ出し、そこで研究者から研究概要と個人史を聞き、研究現場の見学をする「行脚ゼミ」。訪問先は東大内外の生命科学系研究室。遠くは三島の国立遺伝研、さらに三十名の学生たちと共に関西の七研究室を訪問した。このゼミで進学先を決めた学生も多い。うれしいことに、この行脚ゼミに参加した旧ゼミ生が独立した研究者になり、後輩の行脚を迎えてくれるようになった(宮岡、古藤、和田)。心配なのは提出されるレポート(字数制限なし)の字数が年々、減ってきたこと。ゼミ生を連れて通算二百回以上行脚し、四十四研究室、六十余名の生命科学研究者にお世話になった。深く感謝したい。

⑶「立花 隆ゼミ」の開講。リベラルアーツ教育を標榜する教養学部には当時、各学問分野や社会を俯瞰する授業がなかった。そこで、一九九五年、評論家の立花隆さんに非常勤講師をお願いし、私が世話人となり九七年度から総合科目「応用倫理学」を開講した。初回の授業では三八〇名が入る教室に学生が入りきれず、建物外に溢れた。その後、全学ゼミとなり合計七年間続いた。これを契機に立花さんは大学教育について発信し、教養学部でも外部諮問委員としても活躍していただいた。立花さんの広い視野と強い好奇心に影響され、ゼミ出身者の中には作家や記者、編集者になった者も多い。

⑷「理科教育が危ない」。かつては高校時代に理科四領域(科目)を学習していたが、一九九七年度に現役入学した学生からは指導要領改訂で理科を二科目しか学んでいない学生が大半となった。その後も理科系高校生の生物履修者は減る一方だ。高校時代に生物を全く未習のまま医学部を目指す。自然の理解には物化生地が必要だ。これでは日本の理科教育が危ないと、農学部の正木春彦さんと共に「高等教育フォーラム」を作り、シンポジウムを十回開催。論評や提言を出し、本も三冊刊行した。近年、教養学部前期課程では自由選択科目が減り、学生達は「進学振分け対策」として高校時代の未習科目の履修を敬遠するようになった。これではリベラルアーツの本筋から離れるばかりだ。

⑸「高校生のための金曜特別講座」の開講。東大に来る学生達は受験の覇者ではあっても、何がしたくて入学してきたかが、不明瞭な者が多い。そこで大学で進行中の学問の面白さを高校生たちに伝えるべく、古田学部長の承認のもと、学校週完全五日制が始まった二〇〇二年度四月の毎土曜、午前十時から教養学部主催「高校生のための土曜特別講座」を始めた。〇三年度秋からは夕方開講の「金曜特別講座」として開講数は三七〇回を超えた。「東大授業ライブ」などの本を十四冊(うち三冊は中国語版)刊行した。〇四年度からはインターネット中継を開始し、希望する全国の高校(現在六十七校)に配信し、遠隔地の高校生からも質問を受けている。東大生の中にも高校生の頃、講座を聴講した経験がある学生たちが増えてきた。駒場会場では高校生と共に保護者やシルバー層も熱心に聴講している。東大が提供する無料の公開講座として定着してきた。この講座の世話人をすると普段、会議でしか会わない先生方がかくも多様な面白い学問を展開していることに驚く。その豊かさが、必ずしも学生や教員内で共有されていない現状は本当に「Mottainai!」。相変わらず「東大入試を経ていない生徒は相手にしない」という先生もいたが、多くの先生方は講師を快諾して下さった。この場を借りて感謝したい。教育、研究と社会連携は大学の三大ミッションだ。新井宗仁教養学部社会連携委員長のもと、今後もこの講座が継続発展することを祈る。

⑹「PEAK」AO室。私はAO室員としてアジア七か国・領域や米国で面接試験や説明・広報活動に携わった。面接では、こんな優れた学生が東大に来たら素晴らしいと思う受験生たちと多数、出会った。しかし、合格しても東大に来ず、欧米の大学に行く者が多く、やや落胆。タイの高校PTAからは「東大が学業成績のみ重視し、欧米の大学のように社会活動を重視しないのは、おかしい」と言われてしまった。東大の立ち位置が見えてくる。それでも、故国を離れても積極的に人生を展開していこうとする意識の高い留学生たちを東大に受け入れるパスができたことは大きい。内野儀、矢口祐人両氏の粉骨砕身の努力には頭が上がらない。しかし、三千科目以上ある教養学部の授業に占めるPEAK生も四月入学生もとれる「英語による英語以外の科目」は「PEAK科目」を除くとほぼ皆無。生協食堂でも学生の交流はなくPEAKはまだ別世界だ。私は六年前、既に二十年間続けてきた文理を問わず履修できる総合科目「実験生命科学─細胞を培養しよう」を英語化し、PEAK生を受け入れた。四月入学生とPEAK生は仲良くなり、細胞を培養しながら中国語選択者が中国人PEAK生にnative Chineseを教わるなど「学内留学」の効果も出た。いつか国内生と国際生が共通に受講できる英語化授業が増えてPEAKという特別枠が不要となる日が来ることを期待したい。この合併授業は私の退職と共に消滅するが……。

⑺「進学振分け」への私感。新制東京大学は昭和二十四年にスタートした。それ以来、概ね認可当時の学問分野と教員の比率は維持されたままだ。つまり、六十八年前の枠で二十一世紀も走っている訳だ。これでは、学生のニーズと大学が供給する学問分野の乖離ができるのは当然だ。このミスマッチが「進学振分けストレス」の一因となってはいないか。三十四年前、私はUCバークレーにいた時、時代の変化に沿うべく大学が断行した学部・学科の大改革を目撃した。世界の次代を担う人材養成機関としての東大の使命を考えると既存分野の継承だけでは済まされないのではないかと憂慮する。

⑻〇四年から国際生物五輪に関与。東大の推薦入試でも各科目メダリストを重視するようになった。異才が増え、授業も活性化してきた。
⑼毎春、桜の花ともに駒場にやってくる初学者達。彼らが発する鋭い質問や実習で培養した心筋細胞が動きだす様子を目撃した学生たちの上げる歓声を聞くたびに自身の初心に戻れた。時には大学院生たちと発見(?)の喜びを分かち合えた。そんな職は私にとってまさに天職だった。私の研究室で卒業研究や学位研究を修了した学生たちは、目下、日本やアメリカ、カナダの大学や企業研究所で活躍する研究者(二十六名)、第一線の企業戦士(六名)、生物教育に邁進する高校教員(四名)、日本やアメリカで活躍する医師(三名)、遠くケニアや日本で活躍する弁護士(二名)、ウィーンで活躍する経産官僚(一名)、有名医学雑誌記者(一名)になった。卒業生同士が結婚し、子供が生まれたことも嬉しい(長田、吉川)。この二十七年間、教室や研究室で出会った多くの優秀な学生とポストドク諸君、私のように勝手な人間の存在と活動を許してくれた先生方、サポートして下さった学部事務の皆様や生協、守衛室や清掃係の皆様、そして大学院生の頃から苦楽を共にしてきた妻に心から感謝したい。さあ、これから本当に「つひに行く」まで、どんなwindに吹かれようか……?

(生命環境科学/生物)

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