HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報599号(2018年4月 2日)

教養学部報

第599号 外部公開

駒場の杜の過ごし方 ー俯瞰力の追求

教養学部長 石田 淳

599-01-2.jpg私たちは、無数の利害関係者が複雑に絡みあう社会の中に生きています。この社会は、特定の個人・集団の個別利益の実現と、社会全体の共通利益の実現とが必ずしも両立するとは限らない社会です。

たとえば、現在の世代のための開発は、地球温暖化、オゾン層の破壊、生物多様性の喪失、酸性雨、砂漠化等の地球環境問題を深刻化させることによって、将来の世代のための地球環境の保護や地球規模の共有資源の保全を困難にすることがあります。それゆえに、環境保全にも配慮した節度ある開発としての「持続的開発(sustainable development)」を求める動きが生まれました。

また、エイズ(後天性免疫不全症候群)、エボラ出血熱、SARS(重症急性呼吸器症候群)など、国境を越えて広がる感染症の撲滅は国際社会の共通の利益です。この感染症の撲滅には、医薬品の知的財産権を保護するなどして製薬企業がその研究・開発に取り組む経済的動機を作り出さなければなりませんが、逆にそれを制限することなしには、途上国に広がる多数の患者に安価な医薬品へのアクセスを保障することはできません。こういった事情を背景に、先進国と途上国との間で知的財産権の保護をめぐって主張の対立もみられました。

さらに、領土、国民、憲法など、一国にとって価値あるものに対する脅威を、国家の政策を通じて軽減することはその国家の安全保障上の利益と位置付けられるでしょう。しかし、軍備の増強や同盟の強化は、防衛のみならず攻撃の手段ともなりうるもので、選択された手段からその目的を正確に推論できません。それゆえに、相手国の不安を掻き立てることなしには、自国の不安を拭いさることもできず、守勢に立たされているという不安から、それぞれが軍備の誇示や先制自衛行動の検討をするなど、結果的に互いの不信を増幅する攻勢に出る「安全保障のディレンマ」もしばしば観察されます。東アジアの国際情勢も例外ではないどころか、むしろその典型かもしれません。

このように、地球上の人間の諸活動はさまざまなディレンマを私たちに突きつけています。そしてそれはいずれも深刻なものです。大学における研究には、人間がこのようなディレンマを克服するのに有益な学知を提供することが期待されますが、実は、研究が生み出す学知も、原子力の平和利用と軍事利用の例を引き合いに出すまでもなく、本来の研究目的の範囲を超えて利用されうる汎用性を持つことは自明なので、学術研究それ自体もディレンマから逃れることはできません。

私たちは、どれほど体格の良い個体であっても物理的には社会の一隅を占めるに過ぎない小さな存在です。もし私たちが、その想像力を自分で見聞きできる範囲を超えて広げることもできずに、ただ個人の、あるいはたまたま所属する特定集団の短期的な利益だけを追求することに専心して、人類社会全体の長期的な利益を蔑ろにするならば、それは残念なことです。残念なだけでは済まずに、取り返しのつかないことになるかもしれません。

それゆえに、この春駒場キャンパスにおいて大学生活を始める皆さんには、前期課程における学修を通じて、多様な利害が複雑に絡み合う現実を俯瞰し、その全体を総合的に考察する力を是非とも身につけてもらいたいと願っています。そして、広く世界を見渡し、未来を見据え、地球規模の、そして将来世代の諸課題に主体的に関与してもらいたいと思います。
人間の知的活動の地平が広がるにつれ、大学における研究・教育は専門分化しています。その一方で、学問領域の枠を超えて、断片的な知見を連結・統合する総合的な知的探究への活力も生まれています。専門分化と学際統合の動きを併せみれば、知的関心の多様性が知的探求の一体性を生み出している、と言えるかもしれません。

私は前期課程教育の本質は、前述の断片的な知見を連結・統合する総合的な知的探究にあると認識しています。教養学部が培おうとする教養とは、多面的な現実を総合的に評価することを可能にする知の奥行き、拡がりといったもので、それが人間の的確な判断力の基盤を成すと考えます。未知の学識をひたすら吸収する受験勉強型の勉強も必要ではありますが、それ以上に、既知の事物や事象を互いに関係づけて全体をとらえる視野の広い俯瞰力を獲得するために、駒場の杜で過ごす二年間を最大限有効に活用されることを願うばかりです。

(総合文化研究科長/教養学部長)

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