HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報601号(2018年6月 1日)

教養学部報

第601号 外部公開

『ウィルを待ちながら』を書きながら

河合祥一郎

駒場の表象文化論では、芸術を理解するには現場の実践的知が重要だと考えている。私の専門のシェイクスピアの場合、文学的アプローチだけでは足らず、エリザベス朝時代にどのように初演されたのかの考察や、現在に至るまでのパフォーマンス研究、さらには他の表象文化にどのような影響を与えてきたかといった文化的研究など、さまざまな要素を考慮する必要がある。

私がケンブリッジ大学に提出した博士論文も、登場人物の肉体的特徴を分析することで、シェイクスピアが劇団員にどのように当て書きをしたかを読み解くものだった。戯曲は、虚構の世界を描くのみならず、現場で用いられる台本でもあるため、演劇の現場の実際を理解することで大きな知見が得られるのだ。

二〇一四年、私はこれまで多くの演劇の現場に関わってきた経験を踏まえて、自ら訳した作品を自ら演出する試みKawai Projectを開始した。第一弾は駒場Ⅰキャンパスの21KOMCEE WEST地下のMMホールで上演したシェイクスピア喜劇『から騒ぎ』で、二年後に第二弾として東池袋の劇場で『まちがいの喜劇』を上演した。さらに、サミュエル・ベケット作『ゴドーを待ちながら』を演じたいという俳優・原田大二郎氏の依頼を受け、この作品を新訳・演出し、二〇一六年に近隣のこまばアゴラ劇場で上演した。

『ゴドーを待ちながら』は、二人の老人がゴドーなる人物を待ち続けるが、結局ゴドーは現れないという芝居である。不条理演劇の代表作のように言われ、しっかり解釈しないとわけがわからなくなるが、ベケット研究の第一人者で駒場の表象文化論の創立者の一人でもある高橋康也先生の薫陶を受けた私は、師の名を傷つけぬよう、解釈・演出に全力を注いだ。その結果、この公演は好評を博し、日本経済新聞の「二〇一六年の演劇回顧」という記事に取り上げられるほどの成果を得た。

この公演を気に入ってくれた観客の一人に、田代隆秀氏がいた。田代氏は、小田島雄志訳によるシェイクスピア全作品上演を一九八一年に達成したシェイクスピア・シアターの創立メンバーであり、一九八七年の帝国劇場『レ・ミゼラブル』日本初演のオリジナル・キャストでもあり、劇団四季でもいくつもの重要な役を務めてきた大ベテランの俳優だ。

田代氏は、ゴドーの代わりにウィル(ウィリアム・シェイクスピア)を待ち続ける俳優二人が、シェイクスピアの台詞をずっと語っていく芝居をやってみたいと提案してくれた。『ゴドーを待ちながら』に出演した髙山春夫氏がその相手役を引き受け、私は台本と演出を担当することになった。二〇一八年七月四日〜十八日に、こまばアゴラ劇場主催公演として上演が決まったこの芝居のタイトルは、『ウィルを待ちながら─歯もなく、目もなく、何もなし』。副題はシェイクスピアの喜劇『お気に召すまま』の台詞「この世は舞台、人は役者……」の一節からとった。

さて、この新作芝居の中身だが、当初は、私が翻訳したジェイムズ・シャピロ著『一六〇六年─『リア王』の時代』(白水社刊)に描かれていた当時のカトリック弾圧と絡めて、シェイクスピアは父親がカトリックだったためにその身に危険が及んだという筋を考えてみた。ところが、書いてみると話が混み入ってわかりづらく、これはボツとせざるを得なかった。

田代氏から、シェイクスピアの全作品の名台詞を使ったらおもしろいんじゃないかという提案を受け、それに挑戦することで仕切り直しを始めた。使えそうな名台詞を全作品から選び出し、それらを並べ替えながら芝居を組み立てたのである。その結果、できあがった芝居の半分はシェイクスピアの名台詞で構成されることとなった。

二人の初老の役者が自分たちの過去を振り返りながら、芝居談義に花を咲かせ、シェイクスピアの名台詞を語っていく。しかし、これだけでは芝居にならない。そこで、役者が芝居を演じるという状況と、たとえば『リア王』でエドガーが芝居を打ちながら狂乱のリア王に対応する──役者がエドガーを演じ、エドガーが芝居を打つという二重の演技構造となる──という状況とを重ね、芝居なのか現実なのかわからなくなっていく設定を考えた。シェイクスピア作品には『リア王』に限らず現実と虚構が重なるメタシアター的要素が多数あるので、それらを最大限に活かしたわけである。なおかつ、想像力で感じ取るものの方が現実に存在するものよりもインパクトが大きいというシェイクスピア的主題を作品の基幹に据えることにした。

実はこの文章を書いている現時点で台本は完全にはできあがっていない。できてもいないうちから、講演会など公共の場で「観客の涙を絞る感動の芝居になる」などと宣言している。公言したとおりの結果になっているか、こまばアゴラ劇場まで確かめにきて頂ければありがたい。上演の詳細はKawai Projectのホームページでご覧ください。

(超域文化科学/英語)

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