HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報603号(2018年10月 1日)

教養学部報

第603号 外部公開

国際司法裁判所裁判官に就任することになって

岩沢雄司

国際司法裁判所の裁判官に就任することになった。小和田恒・前判事が任期途中で辞任し、二〇一八年六月にその空席を埋める補欠選挙が国連で行われ、当選したのである。このような場合に空席は日本人が埋めると決まっているわけではないので、選挙運動は全力で行った。しかし結局、他の候補者は出ず、国連総会で有効投票一八九票中一八四票、安全保障理事会で有効投票一五票中一五票という、圧倒的多数の信任を得て当選することができた。

国際司法裁判所は、ハーグ(蘭)にある国家間紛争を解決する国際裁判所で、国連の「主要な司法機関」である。国際法の解釈適用を通じて国際法の明確化及び発展に貢献しており、国際社会で最も権威ある国際裁判所といってよい。日本人で同裁判所の裁判官を務めるのは、田中耕太郎(一九六一─七〇、元最高裁長官)、小田滋(一九七六─二〇〇三、元東北大教授)、小和田恒(二〇〇三─一八、元外交官)に次いで、四人目である。前身の常設国際司法裁判所で織田萬(一九二二─三〇、元京大教授)、安達峰一郎(一九三一─三四、元外交官)、長岡春一(一九三五─三九、元外交官)が裁判官を務めたので、通算すると七人目となる。現職の東大教授が選ばれたのは初めてである。重要な国際司法裁判所の裁判官に選ばれたことは、大変に名誉で光栄なことである。全力で職務に当たりたい。

選挙運動では、国際法の様々な分野において研究成果を発表してきた国際法学者としての実績に加えて、国際法の実務家としての経験が評価されたように思う。私はこれまで、国連先住問題常設フォーラム委員(二〇〇二─〇四)、アジア開発銀行行政裁判所裁判官(二〇〇四─一三、うち二〇一〇─一三は副所長)、国連自由権規約委員会委員(二〇〇七─一八、うち二〇〇九─一一と二〇一七─一八は委員長)などを務めてきた。在外研究や国際会議などを通じて培ってきた人脈も役立った。

国際司法裁判所裁判官は兼職を禁止されているので、当選を機に、自由権規約委員会の委員及び委員長の職は辞した。東大も退職した。定年前に東大を辞めなければならなかったのは残念である。私は一九九六年に大阪市立大学法学部から東京大学教養学部に助教授として着任し、一九九七年に教授に昇任した。二〇〇五年に法学部に異動するまで、九年半にわたり教養学部で教鞭をとった。前期課程では「基礎演習」「法と国際社会」「法Ⅱ」、後期課程では「国際法」「国際機構Ⅱ」「国際機構演習」などを担当した。大学院総合文化研究科でも国際法の教育を担った。後期課程の「国際法」は受講生が比較的少ないので、学生と親しく交わることができた。九〇〇番教室や法学部二五番教室といった大教室で行われる法学部の「国際法第一部」「国際法第二部」とは違った良さがある。後期課程の卒業生とは今も親交が続いている。国際社会科学専攻の同僚教授との交友も忘れられない。私が親しくさせていただいた教授の多くは既に駒場を去り、小寺彰教授のように鬼籍に入ってしまわれた方もおられる。寂しい限りだ。

駒場は国際関係論、地域研究など様々な分野において輝かしい伝統を有し、研究と教育を牽引してきた。そして、第一線で活躍する研究者や外交官等の実務家を数多く輩出してきた。小和田前判事は教養学科国際関係論分科の初期の卒業生で、外務省の課長だった四〇代から駒場で「国際機構Ⅰ」「国際機構Ⅱ」などの講義をしばしば担当した。駒場が輩出する有為な人材の模範といっていい方だ。駒場が輩出した外交官の多くに、私は様々な形でお世話になっている。

私は一九七三年に東京大学教養学部文科一類に入学した。学生として過ごした駒場時代も懐かしい。入学当初から既に国際法に興味を持っていて、一年生の冬学期に筒井若水先生の全学一般教育ゼミナール「国際連合の研究」を履修したいと強く思った。ところが履修希望者が多く、選抜のために作文を提出しなければならなかった。駒場のガラス掲示板に貼り出された履修許可者に自分の名を見出したときは、本当にうれしかった。その後、筒井先生が主宰し駒場を本拠に活動する「現代国際法研究会」への入会を誘われたが、その時は入会しなかった。駒場の掲示板で見つけた「日米学生会議」に積極的に関わることになったからである。同会議には本郷進学後も実行委員として関与し続けた。

法学部助手を務めていた時にハーバード・ロースクールに留学し、日本も国際法模擬裁判に参加すべきという思いを強くした。そこで留学から帰った一九七八年に、筒井先生と現代国際法研究会に国際法模擬裁判を紹介した。その後は国際法模擬裁判を通じて、現代国際法研究会の学生との関係が続いた。私は既に卒業していたが、特別に入会も認められた。
駒場はいろいろな意味で私にとって懐かしい場所である。

(国際司法裁判所裁判官/元教養学部教授)
 

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