教養学部報
第604号
<時に沿って>初学期雑感
松島 慎
私は今年度四月に総合文化研究科広域科学専攻広域システム科学系に講師として着任しました。専門分野は機械学習に関するアルゴリズムで、前期課程では「情報」「アルゴリズム入門」の講義を担当しています。
駒場キャンパスを歩いているときは、自分が前期課程に入学したころのことをよく思い出しています。自分が二年後どこへ進学したいか全くわからず、進振り制度におそれと不安を抱いていたこと、教養学部という言葉の響きをシンプルにとらえて、自分はここで好きなことをいくらでも学べるのだと心を躍らせていたこと、自分が担当する「情報」の講義の前身であった「情報処理」の講義のことも微かではあるが記憶に残っています。
教職免許を取ることも視野に入れていた私は、そのころから「あるべき教育とは何だろうか」とよく考えていました。実際に前期課程の教育を受ける中で、それまでに受けてきた教育との違いに衝撃を受けたこともそのような思索の大きな動機になったと思います。私は教育を受けることが、特に先生と一対一で話ができる機会など、昔からとても好きな学生だったと思います。それから十数年後に教壇側に立つようになった今、「あるべき教育とは何だろうか」ということをまた自問する日々を過ごしています。
私は今年度から情報教育ネットワーク委員の末席にも名を連ねています。これは学部前期課程と後期課程の間だけではなく、各大学院や情報基盤センター、昨年設置された数理情報教育研究センターなど様々な機関が足並みをそろえて情報教育を整備するための組織です。委員の先生方の議論を聞きながら、情報の知識・技術がツールとして利用する社会が拡大を止めないこの時代に、情報教育自身も情報技術に支えられながら変わろうとしているのだということを感じました。
ウェブ上で多くの知的資源や知的交流の場がアクセス可能になっている今、大学の教育機関としての役割に疑問を抱く声もよく聞こえてきます。私自身も講義中「これについてはウェブ上を検索すればいくらでもよい資料は見つかるのですが」と添えることも間々ありました。情報系の知識に長けている学生は得てしてバイトやインターンなどの経験が豊富です。
なぜ教養学部における教育が必要であり続けるのか、理由は時に沿って変わっていくものだと思います。三千人を相手に教養教育を行っている組織に不慣れな私が感じていることは的外れなことなのかもしれませんが、そのような中で「あるべき教育とは何か」ということをブレイクダウンして今自分に何ができるかを考えることが、自分のためにも組織のためにも重要なのではないかと考えています。教養教育に携わる一教員として、結論のない問いにいつでも責任をもって答えることができるよう、日々勉強と研さんを怠らない所存です。
(広域システム科学/情報・図形)
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