HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報605号(2018年12月 3日)

教養学部報

第605号 外部公開

駒場をあとに「至福の二十六年間」

池内昌彦

私は理科二類に一九七二年に入学後、本郷での二年間を除いて博士の学位取得まで九年間駒場に在学していました。その後十年間理化学研究所にお世話になり、一九九三年に駒場に助教授として赴任し、定年まで二十六年間在籍しました。合計三十五年も駒場でお世話になったのですが、その間にキャンパスも講義・研究もすさまじく変容しました。また赴任当時は駒場の相関理化学専攻と本郷の植物学専攻の大学院指導担当でしたが、やがて相関理化学専攻は総合文化研究科に改組して広域科学専攻の一部となり、生命科学の学科(生命認知科学科、のちの統合自然科学科)も立ち上がりました。つまり、私は駒場の大変革のまっただ中にいたことになり、さまざまな組織の運営や講義改革などにも参画させていただきました。ただ私は、積極的に改革をリードするというより、それぞれの教員や組織の矛盾を少しでも和らげるような働きしかしてこなかったと思います。
それはそれとして、駒場での二十六年間の研究は私にとってはもっとも印象深いものでしたので、以下少し紹介させていただきます。私は、自分たちが発見した謎の解明に一喜一憂し、その謎解明の波及効果を考えるのが一番楽しいのです。その意味で、生命科学の研究は毎日が発見の連続で、私の趣味嗜好によく合っています。私が研究所から本学へ転職したのは、自分だけの研究よりも、学生の指導を介してもっと幅広い研究の醍醐味を味わいたかったことが主な理由です。類似の経験があれば、学生が遭遇した謎の背景も仕組みも、さもわかっていたかのように指導教員として得々と学生に教えることができますが、これはほんの一握りです。ほとんどの謎は些細なものであっても、学生と同様に私にも答えはわかりません。学生と一緒に考え、あれこれ仮説を提案します。当然、当たることも当たらないこともあります。このときの、どきどき感や、それまでの常識が通用しないことに呆然とし、あれこれ悩むことが至福です。
たとえば、約二十年前に光合成の強化に必要な遺伝子の変異体をある学生が探索しました。つまり光合成に必要な遺伝子に変異があれば、増殖が悪くなると予想しました。ところが、予想に反して、光合成でもっとよく増殖するようになった細胞が見つかりました。あれこれ工夫して、その原因遺伝子を見つけました。しかし、当初はこれを元の株と比較してもどちらが正常遺伝子なのか、またよく増殖する株では遺伝子が強化されたのか、などわかりません。しかしやがて、光合成でよく増殖する株の遺伝子が異常で、あまりよく増殖できない方が正常遺伝子とわかりました。つまり、予想とは正反対に、この遺伝子は光合成のブレーキをかけるもので、当時の常識に反していたので、事態を理解するのにずいぶん時間を要しました。
走光性の光受容体の遺伝子を見つけたきっかけも、小さな謎から始まりました。遺伝子の破壊によって走光性が変化するものを探していたとき、ある遺伝子の場合、走光性の結果がまちまちになったのです。私がそれまで研究をしていた光合成の遺伝子では、破壊株の結果がまちまちになることはありませんでした。走光性の実験結果には困惑して、原因がわかるまでに一年以上もかかりました。わかってみるとあっけないことですが、実験に用いた生物そのものの走光性がまちまちで、走光性に影響のない遺伝子を破壊したときは、結果もまちまちになるということでした。一方、走光性を決めている重要な遺伝子を破壊すると、元の生物の走光性がまちまちであっても、一定の結果が得られました。光合成は生物にとって必須なので、まちまちな結果になることはありません。しかし、走光性は生きることに必須ではないので、当時は世界標準の株であってもその性質が細胞ごとにまちまちである(遺伝的に純系でないといいます)ということに、私は考えが至らなかったということでした。もちろんこのままでは論文にできないので、純系の細胞を自分で樹立して、実験をすべてやり直すことになりました。
光合成を調節する光受容体の遺伝子に行き当たったのは、隣の研究室の学生の相談に乗っているときでした。その学生は利己的遺伝子というものが別の遺伝子に転移する現象を調べていました。私はそのとき利己的遺伝子がある遺伝子の内部に挿入すると、光合成にわずかな影響があることに気づきましたが、それ以上調べることができず、そのままになっていました。その着想を受けて研究してくれる学生が出てきたのは八年以上あとでした。やがて、その学生はこの研究を非常に大きく展開してくれました。
このような謎や小さな発見に行き当たり、その解明に苦心している間に大きな発見が生まれることはその後もなんどもありました。実は、この原稿を書いている今日も、学生が不思議な実験結果を見せてくれました。この実験では、学生が発見した新しい色素集合体を細胞から大量に単離することが目的でした。しかし、その結果はさらに未知の色素集合体の存在をにおわせるものでした。私の知る限り、このような不思議な色素集合体が報告されたことはなく、次々と妄想のような考えが湧いてきて興奮してきます。このような人生の至福の楽しみを与えてくれた駒場の二十六年間に深く感謝しています。

(生命環境科学/生物)

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