HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報605号(2018年12月 3日)

教養学部報

第605号 外部公開

<本の棚>太田邦史著『 「生命多元性原理」入門』

佐藤俊樹

この書評の依頼がきたとき、さすがに返事に困った。いくらなんでも、専門が違いすぎる。正直びびったが、著者の推薦だそうで、しかたがない。書けることを書くことにしよう。
なので中身の理解度はいささか心もとないが、私にとって著者の本は面白い。この本もやっぱりそうだった。一つの理由は、かなり高度な内容にもかかわらず、素人にも魅力的で興味深い事例がいくつも出てくるからだが、もう一つは「セントラルドグマ」が主題だからだ。といっても、第3新東京市のネルフ本部の地下の話ではない。DNAの転写による自己同一性の保持のことである。
「××のDNA」というたとえをよく聞くように、自分が何であるかはDNAによって決まる。現代ではそれはもはや一般常識と化しているが、この本が教えてくれるのはむしろその裏側だ。DNAの転写によってどのくらい決まらない、あるいは決められないか。そういう部分までふくめて、DNAによる自己同一性のしくみが成り立っている。そのことがとてもよくわかるのだ。
一番良い例はDNAそれ自体だろう。遺伝子の働き方が遺伝子によって制御されている、つまり遺伝子の自己決定がおきているというのは、エピジェネティクスの大きな発見だと思うが、そこにはDNAの、たんぱく質の生成を直接指令する領域以外の、「ジャンク」と呼ばれていた部分が大きく関わっている。それもRNAや酵素、たんぱく質などのさまざまな化学物質の、かなり複雑なネットワークが介在しているらしい。
この辺で、私の研究関心もむくむく刺激されたりする。「制御」というと、上位から下位への垂直的な制御がすぐに連想される。DNAのセントラルドグマもかつてはそんなイメージだった。しかし、機械の世界とはちがって、生命にせよ社会にせよ、生き物の世界ではこうした垂直的で静的な制御は意外に少ない。むしろ、別々の要素が同じレベルで相互作用しながら協働していく。そんな水平的で動的なネットワークがあちこちで見られる。
例えば、私自身の専門である組織もそうだ。組織は、他の決定に言及する決定が時間的に連鎖する形で組み立てられる。それゆえ、一度決めたことは必ず後で変更できる。本当はそういう形で組織は自己決定している。つまり、憲法のような基本原則から垂直的に制御されているのではなく、複数の決定のネットワークが相互に連結することで、むしろ水平的に制御されている。上下の権限関係はそのなかで生成され保持されていくもので、セル・オートマトンでいえば、クラス4の局在的構造に近い。
こうした組織の実像も少し意外なようで、解説するときはいつも苦労するが(著者のように上手くなくて、すみません......)、この本を読むとDNAだけでなく、生態系や免疫系、神経系などもそんな感じらしい。こうした水平的なネットワークは複雑系と同じで、結果が必ずこうなるとは決められない。むしろネットワーク自体もたえず変化しつづけ、それこそ結果的に環境の変動に対応できたりする。実はだからこそ自己決定もできるわけだが、社会のしくみだけでなく、生命のしくみも基幹的な部分ではそうなっているようだ。
この本からはそんな、いわば「生命のセントラルドグマ」の姿が見えてくる。そこから人間をふくむ、地球全体の生命史も見直される。それも言葉や観念の解釈によってではなく、厳密な科学的な研究の成果として。その意味で、人文学や社会科学にとっても、本当に面白い本になっている。
自然科学の成果を思想や哲学?から意味づけて語るのは、現代思想の得意技になってきたが、残念ながら、中途半端なつまみ食いや言葉遊びに終わることが少なくない。ソーカル事件はたしかにえげつないが、かといって、厳密な定義ぬきの連想ゲームで空想を拡げても、自己満足の独り言にしかならない。
そうでない形で、「自己」や「他者」や「倫理」についてどのくらい考えられるのか。本の最後の章はそういう試みでもある。その成否を評するのはあえてひかえるが(あとがき参照)、教養学部らしい学術の「横断」の新たな挑戦としても、これまで以上にわくわくさせ、かつ考えさせてくれる本だと思う。

(国際社会科学/経済・統計)

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