HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報606号(2019年1月 8日)

教養学部報

第606号 外部公開

送る言葉「小森陽一先生を送る」

林 少陽

小森陽一先生から「私を送る言葉を書いてくれないか」というご連絡をいただいたのは十月初頭のことだった。自分に依頼が来るとは予想もしておらず、そのあとしばらく、ただ茫然としていた。この数年間、小森先生が駒場をあとにされることは何度も脳裏をよぎったが、ついにそれが現実となったと実感した瞬間でもあった。
私事で恐縮だが、小森先生と私は同僚というよりも師弟関係という方が圧倒的にふさわしい。私が駒場で多大な学恩を受けた師の一人である。自分にとって小森先生は、教育者・研究者の模範であると同時に、模範となるべき知識人の大先輩でもある。「知識人」が死語となりつつある今日において、不屈の信念と並々ならぬ行動力でもってこの用語に再び輝かしい内実を与えようとしてきた、立派な知識人である。母国での敗北感を抱えながら駒場にやってきた一留学生の私にとって、知識人としての小森先生の姿は特別な意味を有するものであった。
研究者としての小森先生が学界に与えてきた影響は周知のとおりである。九〇年代、駒場は日本の人文研究に新しい学風をもたらした。そこに小森先生が着任された。小森先生は記号論やナラトロジーなどの理論を日本近代小説の研究に導入し、それを日本の文脈において生かし、大きな影響を与えた存在の一人である。特に強調しなければならないのは、文学を歴史研究の二次的な材料として見てしまう「伝統」を一変させて、歴史学と文学との境界線を問い直し、文学研究と歴史学研究との「対等な」対話を理論的にある程度可能にしたという点である。このことは文学という概念を拡張させ、文学研究に新たな可能性を与えた。小森先生の仕事は一部の歴史学者にとって歴史学の領域の新たな広がりを意味するものでもあった。
駒場の教員のなかで、小森先生は学生の個別指導にもっとも多くの時間を割いてこられた教員の一人だと思う。ご自分の専攻の学生に限らず、他専攻あるいは本郷の大学院生も含めて、時間を惜しまず、熱心に指導にあたっておられた。
そのような小森先生の姿に、私は孔子のいう「有教無類」の精神の実践を見る。再び私事で恐縮だが、大学院時代の私は毎週一時間の面接の時間を先生からいただき、それは四年半の年月を通して一度も中断することがなかった。この場を借りて先生の学恩に感謝したい。
数年前にJRの駅のなかで「日本中を歩く男」というような言葉のあるポスターが貼られていた。それを見る度に小森先生のことが思い出された。権力の向こう側に立ちながら日本中を行脚する小森先生の姿がそのポスターのなかの人物に重なったのだ。二〇一三年五月十四日、小森先生は北京の魯迅博物館で還暦の誕生日を過ごされた。数十名の北京の若い知識人が集まってきた。かつての私と似たような敗北感を経験した彼ら、彼女らは、小森先生の姿に、ある知識人の生き方を見出したのだろう、と私は思った。
寂しい気持ちで、駒場をあとにされる小森陽一先生に向けて、言葉で尽くせない深謝の気持ちを表したい。

(超域文化科学/中国語)

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