HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報606号(2019年1月 8日)

教養学部報

第606号 外部公開

<本の棚>石原孝二著『精神障害を哲学する ─分類から対話へ』

梶谷真司

うつ病、統合失調症、パニック障害、PTSD、依存症、認知症、自閉症、発達障害、摂食障害、睡眠障害......今日、さまざまな心の病、精神疾患が社会問題化している。それは昔よりも今のほうが、心を病む人が増えているということなのだろうか。それともたんに、そのような名前が付けられることが増えただけなのだろうか。いずれにせよ、それは社会の何らかの変化を反映しているはずだ。だが、実際どのような変化を反映しているのだろうか。
著者の石原孝二氏は、近年世界的にも注目されている当事者研究を哲学の視点から論じる第一人者である。本書はその石原氏が、精神障害の意味を問い、精神医学がどのような実践なのか、その歴史的変化を明らかにし、当事者研究に代表される精神疾患への「対話的アプローチ」を来るべきパラダイムとして提示した本である。
健康と病は、体についてであれば、比較的容易に語りうる。どこが異常か、どんなふうに普段と違うのかは、当人にとっても、他者にとっても分かりやすい。だが精神の異常は、それほど簡単ではない。通常の喜怒哀楽はともかく、深い悲しみに沈んでいる人、ちょっとしたことですぐに怒る人は、一時的な状態、もしくはその人の性格にすぎないのか、それとも何かの異常の現れなのか。他の人と言動が目立って違う人は、たんなる変わり者なのか、それとも障害をもっているのか。
また、精神が異常であることが明白であっても、身体の異常と違い、そもそもどこが悪いから精神を病んでいるのかは、今日でもなお分からないことが多い。だからいっそう精神とは何か、その異常とはどういうことなのか、それに対してどのような対処をすべきなのかが、切実な問いとなる。
本書はこのような疑問に対し、まず歴史をさかのぼって答えようとする。第一部「狂気と精神医学の哲学」では、古代ギリシャ・ローマから近代にいたるまでの狂気・精神病の捉え方の変遷をたどり、そこで哲学者が精神やその異常について、どのように捉えたかが論じられる。
そこから分かるのは、精神疾患の理解の枠組みは、近代まででほとんど出そろっており、それは基本的に身体の疾病観のパラダイムに準じているということである。それは、諸器官の機能不全から捉える機能主義と、細菌やウイルスが原因なる病原体論に大別できる。どちらも身体の特定の部位に病因があるとする局在論である。身体の医学に関しては、病気の原因─どこがどんなふうに悪いか─が分かれば、それを取り除くことが治療に直結する。したがって医学は局在論を徹底することで発展したし、医学の専門分化による進歩はその反映であろう。
石原氏によれば、精神疾患も同様に、局在論的に捉えようとする立場は、古代ギリシャからあったが、実証的には多くの場合それがきわめて困難であるため、独立した専門分野として確立が遅れた。そこで精神医学が医学でありつつ、固有の領域を境界づけようとして依拠したのが「分類」という方法である。
第Ⅱ部「精神障害の概念と分類」では、今日世界中で参照されているDSM(精神障害の診断と統計マニュアル)が取り上げられ、その特徴について考察がなされている。DSMは、精神障害を症状に従って分類したものである。これを手掛かりにすれば、精神障害が何か、その原因が何かを分からなくても、治療ができる。このDSMは何度も改訂され、そのたびに精神障害の捉え方、分類は変えられ、今なお多くの議論の余地がある。
とはいえ、石原氏によれば、その根底にはより根深い問題がある。どのような立場をとり、どのような分類を行うにせよ、精神医学は、従来、精神障害を個人の問題としてきた。そして、社会の側、もしくは個人と社会の間にある問題が看過されてきた。しかも精神医学は、そうして個人化された精神の病を社会や家族の要請に応えて取り除こうとしていた。そこでは患者の苦しみやニーズは無視されていた。だが、そもそも医学は、苦悩する本人のためのものではないのか。
このようにして従来の精神医学の歴史と問題点が明らかにされ、第Ⅲ部ではいよいよ、当事者を主体とする治療と、地域と連携した医療への転換について論じられる。そこでは当事者が治療される受動的な立場ではなく、自ら治療を選択し、お互いにサポートする主体的な立場に変わっていく。石原氏は、自身が活動を共にしている日本発の当事者研究や、フィンランド発のオープンダイアローグをこうした精神医学の趨勢の内に位置づけ、今後の可能性を展望する。
本書を通して考えさせられるのは、何も精神医療のあり方だけではない。当事者研究や地域医療のうちに見いだされるのは、医療全般に関わることでもある。そしてさらには、生活の中で個々人が抱える様々な苦悩や問題を、どのようにして社会の中で受け止めるのかという、新しい共同体の可能性であろう。

(超域文化科学/ドイツ語)

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