HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報606号(2019年1月 8日)

教養学部報

第606号 外部公開

駒場をあとに「初心に還った15年間」

佐藤直樹

私が某地方大学教授職を辞して教養学部に戻ってきたのは十五年前、二十歳のころ将来研究したいと思っていた科学の歴史と哲学に、科学者として取り組むというプロジェクトを遂行するのに駒場が最適と考えた。もともと小学生の頃から実験が大好きで、高校生の頃など毎日遅くまで化学の実験をして過ごしていたが、生物の化学を志すこととなった。一方で哲学にも関心があり、当時はやりの実存哲学などの本を読みあさっていた。一九七二年入学当時、生物学ではまだゲノムはおろか遺伝子の塩基配列すらわからぬままに、分子生物学が他の分野を席巻し始めていた。私は生物学の進歩に焦点をあてて、生命の本質とは言わないまでも、生物学に内在する生命に対する見方を哲学や科学史の面から考察するという研究を目指した。しかし、まず生物学を極めてから、それも全生物の活動の源である光合成を勉強してから、という考えで生物化学科に進学し、その後は、光合成生物の膜脂質合成系や遺伝情報発現、比較ゲノム・進化などを研究してきた。そしてようやく再び、ポストゲノム時代の生物学を背景として、生命哲学に取り組むことができるようになった。第二外国語のドイツ語に加え、どうしても必要と考えて、フランス語をマスターし、またその他の言語も不十分ながら習得することに努めた。
今の教養課程には、効率的に単位を取って進学したいという学生も多いが、多様な分野の知識を総合することに関心のある学生も少なからずいて、私の一風変わった生命科学の授業や科学フランス語、生物哲学などの授業に参加してくれたことは、他大学ではまずあり得ないことだったと思う。形式的なだけの学生評価アンケートではなく、毎回の授業において細かい意見や感想を書いてもらったことの集積が、私自身の生命哲学の思索にも大いに役だち、さまざまな著書や研究発表などに活かされてきた。一方、東大の図書館、特に駒場の集密書庫にある古い図書は、私の生命科学史や生命哲学の研究に大いに役だった。これも他大学ではなかなか無いことだったと思う。その成果を、現代生物学そのものへの哲学的批判という観点から、ジャック・モノーとリン・マーギュリスに関する論攷として世に問うことができた。特に、この偉人たちの業績として通説とされる解釈の誤りを指摘し当の研究者が何を考えていたかを再現することは、過去の学問の歩みに対する批判的考察として、次の時代の生命科学を創ってゆくときに、きっと意味をもってくると思う。実際、この作業は現代の生命科学の知識からだけでは難しく、多面的な文化の理解が重要となる。しかしこうした活動を通じて学問のあり方そのものを問うということは、まだこれからの仕事である。その中で、生物部会ばかりでなく、フランス語・イタリア語部会や、さまざまな分野の先生方とも意見交換できたことは、大きな成果だった。
さらにこの十五年間、教授に課せられる管理的業務としてはほぼ最低限の分担をしただけで、私の好き勝手を許してもらえたことは幸いであった。そのことがたたってか、卒研や大学院の指導学生はごくわずかで、旧所属大学での博士取得者もほとんど研究の道に進むことはなかった。科学ではその専門分野disciplineを引き継いでいくことが、よくも悪くも大きな自己目的である。その意味では、私は全くその任を果たさなかった。というより、私には継承すべきdisciplineなどないので、自ずとそうなったのだと思う。だから最終講義などはやらない。しかし、現代生命科学そのものを対象とした批判的研究の萌芽を生み出し、それを日本全国あるいは世界の同じ志をもつ人々と共有する第一歩を踏み出すことができかけているように思う。とはいうものの、既存のものと異なる学問はなかなか認知されない。今の生命科学では、機械論的な物質の相互作用を解明すれば、生き物がなぜ生きているのかを理解できると思っている学者ばかりである。やはりどうしてもこの流れを変えなければならない。バイオインフォマティクスも、安定同位体を用いた代謝フロー解析も、生物対流の研究もそのためにやってきた。他方、生命科学教育では、いままでの暗記中心の教育から抜けだすべく、システム的な理解を目指した計算問題中心の理科一類の教育を、多くの方々のご協力を得ながらスタートさせることができたが、残念ながら、この教科書は他大学に普及するに至っていない。「普通の」生物学教員は見向きもしないからである。本当に理科一類のためになっているのかどうかも、これからの検証が必要である。しかし、昔よく見かけた「造反有理」の落書きではないが、何かを変えてゆく、それも大きく変えてゆくことは必要である。定年になってもまだまだこれから活動しなければならない。
というわけで、「オレ流の」十五年間について、入学当時に流行っていてジャック・モノーも使った言葉で言えば、ほんのわずかな自己批判autocritiqueをしつつ、またぬけぬけと好き勝手を続けていこうという魂胆を隠さずに、皆さんに感謝とお別れの言葉を述べたいと思う。

(生命環境科学/生物)

第606号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報