HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報607号(2019年2月 1日)

教養学部報

第607号 外部公開

駒場をあとに「ル・コルビュジエへ」

加藤道夫

image607.jpg「称賛、崇拝、そして圧倒。......もうそこには行きたくない」。少し後の頁では、パルテノン神殿を描き始めるものの中断し、線で消してしまう。ル・コルビュジエを名乗る以前、二十三歳のジャンヌレが東方旅行に持参した手帖には、彼の屈折した思いが刻まれている。
約十年後、彼は建築を「光の下に集められた(幾何学的)諸立体の遊動(組み合わせ)」と定義し、パルテノン神殿がドリス式神殿という建築タイプ(様式)を洗練と淘汰によって至上にまで高めたものであると理解するに至る。そして、初めてパルテノン神殿を訪れてから約四十年を経過してロンシャンの礼拝堂の設計を始める。この設計によって、彼は近代建築のドグマである理性的建築という強迫観念から解放され、パルテノン神殿を克服するに至った。
私も二十二歳のとき、似たような経験をした。卒業研究のため、フィンランドの建築家アルヴァ・アアルトの建築を訪ねたあと、立ち寄ったのがロンシャンの礼拝堂だった。私はそこで完全に打ちのめされた。
大学院に進学した。指導教官の広部達也先生が駒場の教官だったので、研究拠点は駒場キャンパスに移った。数学科から建築学科に学士入学された経歴を持つ先生からは、感性を基盤とする論理構築の重要性を学んだ。指導教官に恵まれた。駒場という環境が私にもたらした第一の幸運である。
大学院修了後に、当時の教養学部図学教室(現在の情報・図形部会)に助手として採用され、助教授、教授を経て、定年退職を迎える。大学院時代を含めると四十二年もの間、駒場から一度も離れることなく研究生活を送ることになる。当時の図学教室には、ル・コルビュジエの『伽藍が白かった時』などの訳者でフランク・ロイド・ライトの専門家である樋口清、庭園史の専門家で博覧強記の横山正、建築分野での都市形成史の開拓者である野口徹等の諸先生がおられた。ゼミや懇談会の後、お酒が入った席での建築論争がその後の私を作ったといっても過言ではない。同僚や大学院生にも恵まれた。第二の幸運である。
指導教官から最初に託されたのが、ル・コルビュジエのラ・トゥーレット修道院の正確な図面を作ることだった。彼のロンシャンの礼拝堂以降の代表作である。こうしてル・コルビュジエとの対話が始まった。第三の幸運である。
当初は、彼の建築を下支えする理性的側面、特に建築の寸法体系の解明に努めた。その過程では理性的理解を妨げるノイズを可能な限り排除した。しかし、彼の設計を律する理性的規則がわかればわかるほど、ロンシャン礼拝堂での圧倒的な感動の謎は深まるばかりだった。 そこで手描きの建築図に伴うノイズに着目し、理性的側面との関連を探ることにした。私の関心は、同時代の近代建築家から過去へと遡り、建築の図的表記法の歴史へと拡がっていった。図的表記法の変遷を理解することで、建築家固有の図の特異性が理解できると考えたからである。そのおかげで、田中純先生とバウハウスの建築図について話す機会も得た。私が所属したのが図学教室であり、身近に広義の図を対象とする日本図学会があったことが幸いした。第四の幸運である。
そして、再びル・コルビュジエ探求へと向かった。彼は生前から自らの制作に関する各種の資料を保持していた。彼の残した設計図面や手帖、手紙などの資料の整理・刊行が進み、油彩画の『カタログ・レゾネ』も刊行された。現在では三万二千枚に及ぶ設計図面がオンラインで閲覧できる。駒場に居ながらにして多くの資料に接触できるようになった。
私の関心は彼の画家としての活動に拡がった。補足するなら、彼はもともと画家志望で建築家になった後も絵を描き続けた。絵画制作は建築設計に比べて、外的な拘束要因が少なく創作の自由度が高い。画家としての活動の変遷を見ることでロンシャンの礼拝堂の理解が容易になった。
彼の版画収集を始めたのもこの頃からである。その縁で小林康夫先生から駒場美術博物館での《終わりなきパリ展》への版画出展を依頼され、IHS(多文化共生・統合人間学)プログラムのフランス研修にも誘われた。この研修では成果報告のため、ル・コルビュジエにならって手帖による記録が求められた。彼曰く、「鉛筆作業で一度入ったものは、書き込まれ、刻まれて、生涯留まる」。彼にとって,描くことは記憶の身体化だった。私のル・コルビュジエ理解も描くことを通じて身体化された。第五の幸運である。
以来、旅行の際には必ず手帖を持参することにしている。描くことで得た最も重要な教訓は、感動した建築ほど描くのが難しいということだ。それは、彼にとってのパルテノン神殿と同様に、私の原点となったロンシャンの礼拝堂における圧倒的な感動への回帰でもあった。
大学卒業後の四十二年間の研究生活を改めて振り返ってみると、駒場という環境が多くの幸運を与えてくれたことに驚かざるを得ない。この場を借りて感謝したい。

(広域システム科学/情報・図形)

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