HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報607号(2019年2月 1日)

教養学部報

第607号 外部公開

駒場をあとに「旧2号館の地下室」

荒井良雄

この三月末で駒場を定年になる。はじめて駒場に住みついたのが、一九七二年に新潟県から上京して、当時の駒場寮に入った時だから、それから四十七年になる。その間、駒場と完全に切れていたのは、通算四年間だけだから、通算四十三年間は何らかの形で駒場に関わったことになる。
入学した時は、理Ⅰで完全な理系だったが、当時は、文系科目もたくさん取る必要があり、いろいろと聴いてみて、歴史や社会学などに関心をもつようになった。とはいえ、当時開講されていた人文地理学を受講することはなかった。
本郷の工学部都市工学科へ進学してからは、同期生に誘われて、理学部の地理学の授業に顔を出すようになった。それが、今日まで続けてきた人文地理学との出会いだった。大学院理学系研究科地理学専攻時代には、指導教官の山口岳志先生をはじめ、多くの授業が駒場で行われていたから、頻繁に駒場に通った。その後、博士二年終了時に人文地理学教室の助手に採用され、今日に至る駒場暮らしの始まりとなった。
さらに二年後、松本の信州大学経済学部に赴任してからも、教養学科人文地理学分科の授業を持つことになり、毎週、駒場に通うようになった。一九九二年には、山口岳志先生の後任として、駒場に戻って来ることになり、 以来二十七年間、ほぼ最古参ということになった。
さて、かくも長い駒場暮らしの中で、特に記憶に残っているのが、今は跡形もなくなってしまった旧二号館のことである。旧二号館は、現在の二号館、十二号館、十三号館、十四号館がある場所を繋ぐような形で建っていた巨大な建物である。旧二号館の中には研究室や事務室のほか、旧教養学科の授業用の小教室や現在の十三号館一三二三教室に相当するような大人数講義用の教室もあった。当時、人文地理学教室はこの旧二号館の東側の一角を占めていた。
旧二号館が建てられたのは、第二次大戦後の早い時期と聞いていたが、それより以前に建てられた一号館よりも新しいにも関わらず老朽化が進み、外壁が傷んで、破片が崩れ落ちてくるため、危険防止として、外壁の少し外側にはロープが張られ、人が近づけないようになっていた。
旧二号館は、あまりに劣化が激しいため、駒場の主要な建物の中では、真っ先に建て替えられることになった。その間、人文地理学教室は旧第一研究室に仮居することになったが、自分は、旧二号館からの移転の準備を、相棒だった柴田匡平助手と進め、いよいよ引越しという直前に信州に赴任、駒場を離れた。その後、自分が、駒場に戻ってきた時には、すでに現二号館は建っていたから、十年間のブランクをおいて、元の場所に戻ったことになる。
旧二号館では、二階と三階に事務室や教官研究室、図書室などがあったが、実は、地下にもいくつかの部屋があり、人文地理学教室が管理していた。上階ではスペースに幾分、余裕があったからか、地下室(正確にはドライエリアのある半地下室)は院生部屋や学生実習室になっており、教官はあまり近づかなかった。普段そこに出入りするのは、主に人文地理学分科の学生たちだったが、彼らは小うるさい教師の目を逃れて、伸び伸びと駒場の生活をエンジョイしていたはずである。
こちらが助手二年目の時の四年生は特にまとまりがよく、この地下の学生実習室にいつも彼らが居た。教師からは半ば忘れられたようになっていた部屋であるし、地下だから少々騒いでも、周りから苦情がくるようなこともないから、こちらは、火の用心と戸締まりだけは気をつけてくれるように言っておいた以外は、あまり、口出ししなかった。それが彼らにとっては居心地良かったのか、いつもたむろしていたが、卒論が佳境に入ってくると、雁首をならべて机に向かうようになった。締切が近くなると、それにも熱が入り、夜が更けてもお終いにせず、そのまま、泊まり込んで書き続けた者も居るようだった。そうしたコミューンのごとき空間が、彼らを鼓舞したのか、この年の卒論はいつにない力作揃いで、彼らの面倒を見るのが任務のうちの自分も、大いに面目を施したことであった。
今になって思い起こしてみると、このような空間が駒場の地で成り立ったことに感慨を覚える。取り壊し直前の老朽化した建物であったとはいえ、構成員の自由な利用が許される雅量が駒場にあった。その後の駒場キャンパスは次々に建物が新しくなり、銀杏並木の道も立派になったけれども、その裏返しか、キャンパスの空間管理はだんだんとうるさくなり、かつてのような闊達さが失われてきたのではないか。あの旧二号館に奇跡のように生まれた自由で活き活きとした空間。今の駒場に求められているのは、そうしたものの存在をも包み込んでしまう懐の深さではなかろうか。
兎にも角にも、自分はこの三月をもって駒場を去る。お世話になった大勢の皆様に感謝し、今後のご発展を祈ります。

(広域システム科学/人文地理学)

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