HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報608号(2019年4月 1日)

教養学部報

第608号 外部公開

<本の棚>山口輝臣編『はじめての明治史 ─東大駒場連続講義』

酒井哲哉

本書は二〇一八年度夏学期に本学の前期課程「近現代史」として開講された連続講義を収録したものである。明治史研究の最前線にいる編者を初めとする六人の研究者が、「どうして明治史なのか?」、「幕府はどうして倒れたのか?」、「武士は明治をどう生きたのか?」、「内閣制度はなぜ導入されたのか?」、「華族とはいかなる人たちなのか?」、「日露戦争はどうして起きたのか?」、「明治はどのように終わったのか?」という大きな主題を解説し、聴講した学生と自由に質疑応答を交わしながら授業を進めている。
このような大きな問題設定は通常の講義ではそのままの形ではなされないのがむしろ普通である。初年次ゼミナールを受講してみるとすぐわかることだが、研究の作法を身に着けるためには、まずは主題を絞りこみ、先行研究を検討して、基本的な史料に基づいて実証する手順を踏まなければならない。このことは専門家が研究する場合も同じことなので、研究対象の根本に関わる大きな問題設定は、意識されてはいるものの、それ自体が正面からとりあげられることは実は学会でも必ずしも多くはないのである。本書の基になっている講義では、先行研究での到達点を踏まえた大問題に関する要を得た解説が聞けるという、まことに贅沢な経験を味わえたことになる。聴衆の学生の質問も極めて的確なもので、講師と学生の間に十分な知的応答が成立していることを物語っている。
本書の読みどころをいくつか述べてみよう。内閣制度の導入を扱った第三講(西川誠)では、「煮詰まった」と評されるような分厚い明治憲法制定史の蓄積を背負いながら、研究者が新たな視角を提示していくさまが生き生きと提示されている。太政官制から内閣制への転換を明治政府の地方経営政策から説明していく手法は、まさに評者が学部生だった一九八〇年頃の明治史研究の最先端の学説であった。憲法調査のための渡欧中に伊藤博文がシュタインから国家法人説を学び、専門知に基づく「行政」の観念を獲得したことは、評者が駒場で教鞭をとり始めてしばらくしてから一連の研究で強調されるようになった論点であった。そして、明治憲法制定の歴史的背景として近年の研究が強調する公議輿論の伝統は、まさに駒場の明治史研究が中心になって業績を生み出した領域である。また、日露戦争の開戦原因を論じた第六講(千葉功)では、日露戦争は帝国主義戦争か否かというマルクス主義全盛時代の学説から始めて、かつての通説であった明治政府指導者の世代交代と日露開戦の態度を重ねあわせた中山治一・角田順の視角を著者自身の研究を踏まえて再検証していくという、さながら学会報告のような中身の濃い解説がなされている。日露戦争については、穏健派の外交官と強硬派の軍部の対立という一九三〇年代の図式を遡及してはならない、という指摘も示唆的である。総じて日本近代史の古典的学説は、一九三〇年代の歴史像を明治史に遡及することで成立していることが多いが、本書の執筆者はいずれもこうした傾向に距離を置いている。
以上の簡単な紹介から分かるように、本書は軽装の体裁をとってはいるが、実際は浮いたところがなに一つない、重厚な内容を持つものである。一昔前の学生は、入学早早いきなり『明治史研究入門─学説と文献』といった感じの、いかにも国史学の殿堂を拝観するような気分にさせられる分厚い書物を与えられ大いに緊張したものだが、本書はその現代版といってよいかもしれない。一見すると軽妙に思える編者の語り口に騙されてはいけない。知識伝授のありかたは、今昔でそれほど変わりのないものである。教科書は実はよくできているという編者の冒頭の反語的表現もそれに関わる。大学教育について様々な改革が標榜されるなかで、いまなお変わらない知的営為が反復されていることに編者たちの良識を感じた。素晴らしい「はじめての明治史」である。

(国際社会科学/国際関係)

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