HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報609号(2019年5月 8日)

教養学部報

第609号 外部公開

<時に沿って> 自己紹介にかえて

市橋伯一

本来こうした新任教員の自己紹介の場では、若々しい夢や希望を語るべきなのかもしれませんが、たぶんそんな文章を読んでも何も面白くないでしょうから、ここは自然体で語らせていただこうかと思います。
冒頭から若々しさとは真逆なことを書いて恐縮なのですが、私は生きていてもあまり楽しくありません。「ああ、生きていて良かった!」と思うことは年に一回くらいしかありません。残りの三六四日は特に何の感慨もなくぼんやり生きています。他の人がどうなのかは知りませんが、通勤電車や大学で皆さんの顔を眺めていると、たいして楽しくなさそうだということは容易に見て取れます。
とはいえ、私としてもこのような不本意な状況に甘んじていたいわけではありません。高杉晋作は「面白きこともなき世をおもしろく」と言いました。大泉洋は何かの映画で「学校がつまらないんじゃない。お前がつまらないんだよ。」と言っていました。要するに生きていてつまらないのは、そんなつまらない世の中を変えようとしない私が悪いのです。では、どうしたら毎日とは言わないまでも、せめて月に一回くらい生きていてよかったと思えるようになるのでしょうか。
振り返ってみると、少なくとも私が生きていてよかったと感じる瞬間は、特に生きるためには必要ではないけれど今までにこの世にはなかった素晴らしい物や、今まで知らなかった事実を知った時のように思います。例えば、よくできた製品、小説、映画にふれたり、今まで知らなかった自然界の法則を知った時などです。最近の例では本物そっくりのダイオウサソリやオオスズメバチの可動フィギュアを見たときです。哺乳類の私たちから見ればまるっきり違うコンセプトで作られた節足動物の形体に震えました。別の例ですが、私の研究で化学物質の集まりが生命のように勝手に進化していることを発見したときも同じ感覚を味わいました。たぶん皆さんにもそれぞれ心を震わせる対象があるかと思います。
こうした人生に喜びを与えてくれるものたちは、もちろん生きる上では全く必要なく、何の役にも立ちません。節足動物のフィギュアはもちろんのこと、化学物質が進化することを知っても特に病気が治るわけでも、生活が便利になるわけでもありません。ただ、いわゆる役に立つ研究を追求したところで、行きつく先はせいぜい不老不死になって働かなくても生きていけるようになるだけです。楽しくない人生を引き延ばされたところでただ迷惑なだけしょう。
というわけで、私は今後とも、研究や教育を通して生きていて良かったと皆に思ってもらえるような何かを増やしたり伝えたりしていきたいと思っております。そしてそれは教養学部の重要な役割の一つなのではないかと思うのです。皆様今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

(生命環境科学)

第609号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報