HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報610号(2019年6月 3日)

教養学部報

第610号 外部公開

アメーバ中心史観入門

澤井 哲

アメーバといって教養生が思い浮かべるのはブログサイトだそうだ。それはさておき、正真正銘のアメーバ細胞についてである。実は、アメーバ細胞というのは形態に基づいて名付けられる総称であって、分子系統上は、真核生物の大きな分類群にまたがって分布している。ユーグレナでお馴染みのエクスカバータの系統に位置するネグレリア・フォーレリは感染すると脳髄膜炎の原因となる危険なアメーバだ。一方、ネグレリア・グルベリという種は見た目は変わらないが感染性がない。アメーボゾアという系統では、その名もカオス属カオスという、巨大なアメーバが有名である。カオスのなかのそのまたカオスという響きは、なんとも深淵である。こちらもヒトには害はないが、一方、アカントアメーバという種は、コンタクトレンズを介して角膜炎の原因となる。アメーバ細胞は病原性の有無に関わらず、細胞膜の突出が足のように出ては消え、這い回るものが多い。自由自在に膜を変形させることで、外物を取り込んで栄養としたり、でこぼこした地形を這い回ることができる。実は、私達の免疫細胞は活性化すると、アメーバ状態となり体内を「監査」する。軸索を伸張させながらお互いにつながっていく神経細胞もアメーバである。ヒトを含めた動物界にもアメーバがいるわけだ。実はカビの仲間にもはいまわる形態をとるものがいる。植物の根が成長しながら伸びていくときの仕組みもアメーバと似ているところがある。こう考えるとアメーバは真核細胞に根源的な性質の一つで、二十億年前に現れた共通祖先が同様の特徴をもっていたのではないかと想像したくなる。
さて、今日の生物圏を埋める多様な真核生物について思いを巡らせる。多細胞生物と一般に呼ばれるものでは、植物の細胞壁、動物の上皮のように、多細胞性の組織を構成する細胞の多くは移動性が制限されている。上述の免疫細胞以外には、単独での高い移動性をもつものとして、鞭毛をもって泳ぐ精子がある。面白いことに、アメーバ状の精子も線虫で知られている。一方、体細胞が自由に移動できてしまうことは、体細胞変異を次世代に渡してしまう可能性を上げ、細胞の社会性、多細胞性の進化に極めて都合が悪い。このことは癌(がん)にみてとれる。がん細胞は、もともと上皮や間葉系組織の細胞がまさにアメーバとなって、体の別の場所に転移してしまうのである。高い運動性は、集団性にとってはいわば敵なのである。ところがそうとも限らない面もある。傷ができると、上皮細胞が一時的に高い運動性を獲得して傷口をふさぐように方向的に移動する。動物の発生では、ある場所で分化した細胞が別の遠い場所へ移動して、そこで組織や器官を形成することが多多ある。脊椎動物の神経堤細胞は、長距離を移動して、神経や筋肉や内分泌細胞へと分化する。また、魚が水流を感じるための側線という器官は、頭部から体軸にそって細胞が長距離移動して形成される。こうした細胞はアメーバに似た状態に「先祖返り」を起こしている。がん細胞の浸潤では、異常に増殖する細胞がこの仕組を乗っ取っており、こちらは困った「先祖返り」である。
このように細胞の非運動性を限定的に解除することは、動物組織の形成と解体を決定づける基本的な性質の一つである。もし逆にアメーバが多細胞をつくるとしたら、単独での運動性を限定的に低下させるか、決められた場所にだけ動くようにすることが重要となろう。まさにこのような工夫をもって、多細胞体制を「発明」したアメーバたちがいる。あまり知られていないことだが、アメーバ同士で集合して、子実体を形成する種がいくつもある。このような種は、オピストコンタ(ヒト、動物を含む系統)、アメーボゾア、エクスカバータ、リザリアで独立に出現しているが、最も有名なのが、アメーボゾアに属する細胞性粘菌である。「細胞性」と断っているのは、細胞融合で巨大化する真性粘菌と区別してのことである。その中でも、Dictyostelium discoideum「キイロタマホコリカビ」は、細胞生物学、生物物理学などにおいて長年研究されてきたモデル生物である。子実体は柄の部分と胞子からなるが、カビの胞子嚢とは異なり、アメーバが集合して配置換えをおこして形成される。アメーバがいかにお互いを寄せ合い、集合し、多細胞体制を構築できるか、それを紐解くことで、細胞間の相互作用、細胞運動の巧みさが面白いようにわかってくる。ちなみに、ホコリカビとは真正粘菌を含めて、元々つけられた和名であるが、この「カビ」という部分は誤解をまねきやすい。細胞性粘菌の記載は十九世紀末、当時、東京帝国大学の学生だった柴田桂太(後に植物学教室教授)がPolysphondylium violaceumという種を「ムラサキカビモドキ」と命名したのが国内では最初のようだ。カビモドキとは実に的を得ている。ただしアメーバ中心史観からすれば、カビこそ粘菌モドキなのだが。

image610_01_1.jpg

image610_01_2.jpg

図:細胞性粘菌
(上パネル)アメーバ(全長約10ミクロン)が数万個集合して
(下パネル)子実体(全長約5ミリ)

(相関基礎科学/物理)

第610号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報