HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報610号(2019年6月 3日)

教養学部報

第610号 外部公開

<時に沿って> 無駄なことなど何もない

伊東直美

二〇一九年三月より総合文化研究科の助教に着任致しました。ドイツ近現代史における移民と国籍について研究しております。学部の一年生として駒場に足を踏み入れてからすでに四半世紀が経ちました。
博士課程在籍中に妊娠し、これは一つの転機となりました。出産後、はじめは母乳が出ず苦労しました。二時間おきにマッサージ、母乳、ミルクを繰り返すと、寝不足になり、あっという間に産後うつに陥りました。母や夫の助けがなければ立ち直れなかったと思います。出産後、私大での勤務を、休憩時間にトイレで搾乳、冷蔵庫にパックで保存しながら続けました。半年が過ぎ、育児生活にも慣れてきた頃のことです。日ごろから高眼圧ではあったものの、出産後、眼圧が下がり、点眼の必要がないかも、と医師に言われていた矢先のこと、突然、眼圧が両眼ともに四十を超え、点眼でも服薬でも下がらなくなりました。二度の手術で、数値は正常化したものの、片方の視野が欠損しました。「体の中で一大変革が起きたわけだから仕方がない」と慰める医師の言葉を他人事のように聞きました。服用する薬のために授乳を中止しましたが、乳腺炎を防ぐため、搾乳を続けなくてはなりませんでした。手動ポンプで腱鞘炎になったため、電動に切り替えて毎晩絞っては捨てる作業を繰り返し、福島の乳牛に自分を重ね合わせていました。
その後、体調が回復して、専門学校で英語の授業を担当することになりました。元気の良い学生が「英語は使わないから勉強する必要はない」と主張するので、「いつ面接試験で、職場で使うことになるか分からない。やっておいて損はない」と答えると、逆に「私たちが使うような場所に行かないことを分かっていないのはそちらの方」と反論されてしまいました。自分の組み立てた授業は所詮、一般的で自己満足に終わるものだったのか、教える学生の興味関心を引き、なおかつアカデミックの要素を取り入れるにはどうしたらよいのか、試行錯誤の日々が続きました。卒業式の日に当該の学生に「授業で一番学んだことは、出産後の授乳が大変だということ」と言われたことを考えると、私の実験は実を結ばなかったかもしれませんが、少なくとも何か心に残ってくれたのは嬉しいことでした。
私の父は信者でもないのに聖書の一節、なかでも、「家造りらの捨てた石が隅のかしら石となった」を引用することを好みました。真面目に研究を続けて行けば、他人に認められずとも、自分の中の基盤になっていく、一見無駄に見える経験も必ず何かしらの役に立つことを力説し、父もこの言葉で自身を支え、娘の私を励まし続けてきました。曲がりくねった道のりを辿ってきたとしても、その回り道を含めたすべてが今ある自分自身を形作っているのであり、そこで培われたものが今後の生活に役立っていくということを信じ、これからも歩き続けていきたいと思っております。

(地域文化研究/ドイツ語)

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