HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報610号(2019年6月 3日)

教養学部報

第610号 外部公開

<時に沿って> 物理、生物、化学の境界領域へ進むまで

柳澤実穂

二〇一九年一月一日付で、総合文化研究科広域科学専攻と新たに発足した先進科学研究機構の准教授として着任した。東大育ちではないが、駒場キャンパスには多少の馴染みがある。学部生時代は自主ゼミで、大学院生時代は生物物理学会若手の会の活動で、しばしば駒場を訪れていた。ここでは、なぜ物理学科に進学しながら、生物物理や柔らかな物質(ソフトマター)の物理を専門とするようになったのか、その経緯を簡単に述べたい。
私は内臓逆位で生まれた。心臓を含む全ての内臓が逆であるため健康上の問題はなく、自己紹介時に「ブラックジャックで見た!」とか「(北斗の拳の)サウザーか!」というリアクションを介して覚えてもらう程度の使い道しかないが、生き物に対する興味は当然高められた。しかし、学問として好きになったのは、生物学ではなく、普遍性を求める物理学や数学であった。そこで大学では物理学科へ入学し、生物物理という分野を知った学部三年頃には、生物物理学会若手の会へ出入りするようになった。
当時、身体の非対称性は脳神経系へ影響しないと考えられていたが、私は納得できなかった(その後、脳にも非対称性があることが示唆された)。そこで脳の物理で著名な二人の先生へ「その道に進んでも良いか、進むならば何を勉強すべきか」と失礼ながらメールで質問した。非常に多忙であろう先生方からはすぐさま返信を頂き喜んだが、予想に反し「他の分野を極めてから、脳の物理をすること」を薦められた。落胆しつつ、生物に関係しそうなその他の物理分野として、ソフトマター物理を選択することになる。
こうして第二候補として選んだソフトマター物理であるが、この選択を後悔したことは一度もなく、その面白さに日々魅了されている。例えば、人工細胞や医薬用カプセルとして汎用されるリポソームは、熱力学的に安定な形を示すだけでなく、実際の細胞形状に良く似た形を再現することから、細胞の形を物理的に理解する上で役立つ。また最近では、神経伝達に関する新たな物理的提唱もあり、神経細胞のように細長い細胞膜モデルでの相転移から脳の物理へアプローチすべく準備を進めている。
日本では一〇%程度といわれる女性研究者として生きることは、特に子どもを持ってからは容易ではない。しかし、フェアに家事育児できる有能な夫や、理解ある学生・同僚達のおかげで、充実した研究生活を維持できている。また、物理・生物・化学の境界に存在するソフトマターは、学際性を重んじる駒場とも相性が良いように感じている。固定概念に捕らわれず、生命に潜む物理現象を見出すべく、今後も研究に励みたい。

(相関基礎科学/先進科学)

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