HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報612号(2019年10月 1日)

教養学部報

第612号 外部公開

先進科学研究機構

清水 明

私が卒業した信州の長野高校の近くには、日本最古の仏像を祀る善光寺がありました。古来から参拝者で賑わってきた寺なので、写生の時間に赴くと境内の外れにろくろっ首の見世物小屋を見つけたりと、まるで江戸時代で時計が止まっているかのようでした。そんな門前町の田舎から、私は一九七五年に東京大学理科一類に入学し、理学部物理学科、理学系研究科物理学専攻と進み、博士号を取得しました...が、当時の東京大学には、私がワクワクするような事は見つかりませんでした。インターネットによる情報発信が普及し始めるのは四半世紀も後のことですから、情報収集力に劣る田舎者には東大の外の世界を見ることもできず、ただ失望するばかりでした。(そのあたりの詳細は某所に書きました。)
さて、今の東大はどうでしょうか? もちろん、当時よりはずっとよくなったでしょう。しかし...さて、ここで問題です!
光学には、古典光学(ユークリッド以来の幾何光学とマクスウェル以来の波動光学)と、二十世紀後半からの量子光学(光の量子論的な特質を研究する光学)という二つの分野があります。古典光学といえどもまだ解明されていないことは多く、つい最近も、球面収差のないレンズという二千年来の大問題が初めて解けたとニュースになりました。また、既に解明済みの事項であっても、大学ではその知識が失われつつあると、キヤノンの有名な技術者が嘆いていました。こうしたことから、明らかに、古典光学の専門家も大学にいた方がいいに決まってますよね?そもそも古典光学は光学にはなくてはならない分野ですしね。でも、あなたの学科に光学のポストが一つしかないとき、古典光学と量子光学の、どちらの分野の専門家を採用しますか?
「そんなの、量子光学に決まってるじゃん」と即答した教員の方、ちょっと待ってください。人ごとだから即答できたのではありませんか?当たり障りがないように光学を例に出しましたが、先生の身近な分野に読み替えても、即答できるでしょうか?
私が東京大学に赴任してから、人事や運営にかかわるうちに抱いたのは、大学の先生方は、このような「どっちも必要だけど、どちらか一つを選んで他方は切り捨てなさい」と問われたとき、もしもそれが「人ごと」でない場合には、冷静な判断ができなくなる傾向があるのではないか、という疑いです。
たとえば人事では「この分野は、まだ分からないことがたくさんある」「この分野は、○○学になくてはならない」という主張が飛び交います。しかし、どんな分野でも未解明なことは残っているし、その専門家が大学にいないよりはいた方がいいに決まっているのだから、このような主張は、ほとんど無意味ではないでしょうか? それらの主張を頼りに人事をやっていたら、ポストがいくつあっても足りません。学問の地平はどんどん拡大していきますから、全ての分野の専門家を大学が抱えようなどとしたら、やがて全人類を大学の教員に採用しないと間に合わなくなってしまいます。(そして飢え死にします...)
もちろん実際には、ポストは極めて限られていますから、喧々ごうごうの議論の末に、反対がある以上は従来路線を変更しないで丸く収めるという伝家の宝刀(とっくに錆びてますけど)をかざして、古典光学の教員を採用して量子光学は諦めよう、ということにもなりかねません。とくに最近は、ポストの削減が続いているために、ますますそのような「守り」に入る傾向が強まっているように思います。しかし、人事委員の本来の役割は「本学では、涙をのんで古典光学の研究をここで終わりにして、後はキヤノンやニコンに任せよう。その代わり、量子光学で新しい科学を創出しよう」という苦渋の決断を下すことにあるのではないでしょうか?
必修の講義科目の取捨選択を迫られたときも同様の現象が目撃されます。どの必修科目にも、それぞれのサポーターが現れて「重要だ」「必要だ」と主張されます。どの科目も価値があり、あった方がいいにきまっています。その自明な理由でどれも削れない。取「捨」選択のための議論ができずに、全てを拾い上げることしかできない。その結果、とくに前期課程の理系学生のカリキュラムは、ひどく過密なものになってしまい、教養学部の本来の理念から遠ざかってしまっているのではないでしょうか?
そうそう、講義科目と言えば、学生による授業評価などが導入されて、講義の平均的な満足度は、当社比でかなり上がりました。素晴らしいと言ってよいレベルです。しかし...講義内容や定期試験のレベルを下げたために満足度が上がった面もあるのではないか、という疑いを私は抱いています。実際、たとえば、私が学生の頃に受講した物理(力学と電磁気学)の定期試験は、百点を取れることなど滅多にないような問題が出題されていましたが、今は(私の講義も含めて)百点がたくさん出るような易しい試験問題が出題されています。講義内容も、たまたま私のクラスを担当した先生は、とんでもなく高度な内容で、講義に沿った教科書もなく、私も同級生もなんとか理解しようと格闘した覚えがあるのですが、今はそんな講義をする先生は滅多にいません。しかし、駒場で私が受けた講義の中で一番良かった講義は何かと問われれば、私は迷うことなくこの先生の講義を挙げます。そういう講義を受けられない今の学生は本当に満足しているのでしょうか? 物足りないと思っている学生もいるのではないでしょうか?
このようなことを悩んでいたら、ある日、これらを一挙に改善できるかもしれない手段として、「先進科学研究機構」と「アドバンスト理科」というアイデアが浮かびました。それを石田研究科長(当時)にお話ししたところ、石田先生が創りつつあった「研究推進型の部局構造」に取り入れていただくことになり、全学の一定の支持も頂戴し、このアイデアが実行に移されることになりました。その内容については、既に様々な所に書きましたし、機構のホームページhttp://kis.c.u-tokyo.ac.jp/にも書きましたので、ここでは割愛させていただきます。幸い、新任教員の活躍はめざましく、学生の満足度も高いようで、苦労の甲斐があったように思っております。

(先進科学研究機構長/相関基礎科学/先進科学)

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