HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報612号(2019年10月 1日)

教養学部報

第612号 外部公開

「おわりに言葉」かな?

磯﨑行雄

「はじめに言葉ありき」と新約聖書ヨハネ伝の冒頭に書かれている。その深遠なる意味を異教徒の私が理解できるはずはないが、なんとなく違和感を抱いてきた。研究者にとって言葉は「はじめに」じゃなくて「おわりに」のはずだろうと。
地球科学に興味をもってもうすぐ五十年になる。岩石、地層、化石などを調べて、地球の仕組みや生命の歴史についていろいろ勉強させてもらった。実際には、あちこちの山野をほっつき歩いたあげく、たまに面白いものに出くわすと大喜びするといった調子の仕事をしてきた。石を叩き、眺め、匂いで、たまには舐めたりもする。要するに親からもらった五感で認識できる対象を相手に、極めて即物的な仕事をずっとしてきた。「犬も歩けば...」とはよく言ったもので、こういうことを繰り返していると、凡人でもときどき奇妙な事象に巡り会え、その度にこれは日本で初めてだとか、地球最古だとか言って、自らを鼓舞してきた。言葉を意識した初体験は、偶然見つけた未記載の化石(ジュラ紀海洋プランクトン)にラテン語の新種名を命名した時だった。駆け出し研究者として張り切って論文を書いた時の興奮をかすかに覚えている。新種名の命名者として自分の名前が学門の世界の片隅にでも残るかもしれないと夢見たからである。その種名は今も残っているが、論文自体はその後三十五年ちっとも引用されず、若者の野望は砕かれた。だが、まさにそれを書いていた最中に「これが果たしてやりたかった研究なのかな?」という疑問が頭の隅にあった。
高校三年生だった一九七三年、小松左京作のSF小説『日本沈没』が映画化され国中で大きな話題となった。高校生ですら、これからはプレート・テクトニクスの時代だと感じた。普及書でウェゲナーの大陸移動説提唱をめぐる議論の顛末、また海洋調査からプレート概念の結実に至る過程などを読んで異常興奮した。地球科学分野に私と同学年の研究者が特異に多いことが、その時代の雰囲気の動かぬ証拠かもしれない。手に取れない大スケールの現象を説明する考え方の枠組みを作ることこそが科学する喜びだという価値観が私達の世代に刷り込まれた。そうだった、私達はあくまで具体的なモノを扱ってはいるが、面白いのはそれらの来歴を説明する考え方の枠組みを発見することだと、いま老齢に達して改めて思う。
新発見であれ新概念の着想であれ、私達研究者が新しい事柄を報告する際に、既存の用語に加えて、しばしば仲間内で通じる新たな符牒(jargon)を作る。このjargonが曲者で、同時代の研究者が興味を持つ問題点の集合を端的に表現する仮称であるがゆえに、その正体は未解明でモヤモヤしている一方で、時代の最先端を匂わす魅力に満ちている。やがてその本質が解明されると、一般的な用語で記述可能となることが多い。しかし、どの分野でも研究史の中で一時代を画するjargonが確かにあり、それが後世の教科書に残ると、各分野での基礎的専門用語として定着する。
やはり言葉が大事だ。いつも英語で書くのに苦労しているので、日本人研究者の造語を欧米人が使っている例をみると、ちょっと溜飲が下がる。中でも恰好がいいのは単純な固有名詞や記載用語ではなく、より高次元の事柄を記述する抽象概念を新jargonとして提案することだろう。それが広く世界中で使われるようになれば素晴らしい。「プレート・テクトニクス」しかり、また日本産では「火山フロント」、「太平洋型造山運動」など実際に手に取れない概念が、皆の頭に着実に根付くのだから。
このような大枠概念の構築は、科学史に出てくるパラダイムあるいは研究プログラムの提案にあたる。できたらそういう高次元の概念・言葉を提唱したいと研究者の誰もが思って日夜努力しているのだと思う。しかし、時代を代表するパラダイム提案の可能性は、個人の力量や努力だけでは決まらない。各々の研究者が生きた時代の研究潮流、そしてその潮目が変わるタイミングが関わるからである。それでも抽象概念には階層性があり、たとえ時代の流れに恵まれなくても、中あるいは下階層の概念・言葉の提唱なら多くの研究者にも達成できるはずだ。研究者たるもの、やはり「おわりに」何か重要な言葉を残したいのではないか。
私自身もjargon作りに挑戦したものの、今となっては何か残したかったなと臍を噛むのみである。そんな私にJpGU(日本地球惑星科学ユニオン;惑星科学・地球科学分野の二十五学会の連合)がフェローの称号を下さった(で、学部報の原稿依頼が来た)。過分な評価だが、せめて若い研究者達を「言葉探しの旅」に誘うことが、これまで自由に研究させて頂いた日本の学会や大学に「生きた化石」が恩返しできることだろうと思う。
昨今、日本の理系研究は論文数と被引用回数などという欧米発の尺度に過度に惑わされるようになった。内容を理解しないマスコミの多くが有名学術誌に載った論文だけを持ち上げるのも悪しき風潮である。そんな表面的見方だけに振り回されず、もっと本質的な言葉の創出を意識した独自研究が、今後も日本から、そして駒場から発信され続けることを強く願う。

(広域システム/宇宙地球)

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