HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報612号(2019年10月 1日)

教養学部報

第612号 外部公開

<時に沿って> アンサンブルの一員として

鳥山祐介

二〇一九年四月より総合文化研究科、言語情報科学専攻に着任しました。専門は十八世紀から十九世紀初頭のロシア文学、文化史です。出身学部は東京外大、大学院は本郷だったので、駒場と深く関わるのは今回が初めてです。駒場キャンパスにまつわる古い思い出としては、学部生だった二十四年ほど前に一度、「東大歌劇団」というサークルの公演に管弦楽の一員として出演した時、このキャンパスの当時の食堂を使って練習をした記憶があります。先日、十八号館の研究室で荷解きをしていたとき、現役メンバーが新歓で歌う「カルメン」や「椿姫」の一節が聞こえてきて、当時のことを思い出していました。
「十八世紀から十九世紀初頭のロシア文学」というのは、ロシア社会・文化の本格的な西欧化が始まってから「近代ロシア文学の父」とされるプーシキンが出現するまでの文学です。そう聞いて「そんなものあったのか」と考えるのは、ロシア文学にかなり親しんでいる方かもしれません。一口に「ロシア文学」といっても、現在も広く読まれ、国外で翻訳が出版されるような作品は、ほとんどがプーシキン以降のものに限られているからです。ロシアの人と話していて「十八世紀文学を専門にしています」と自己紹介した際、「え?面白いのか?」と驚かれたことも何度かありました。確かに、現代人が予備知識なしに読んでもピンとこない作品がプーシキン以降の文学に比べて多いかもしれません。
そんな文学を読んで探究することの面白さは、オーケストラの中で例えばヴィオラのように地味なパートを担当する面白さに少し似ていると思っています。こうしたパートの譜面には、一見して弾き甲斐のある箇所だけでなく、一人で演奏しても面白くない箇所が多々あります。しかし、そんな音の連なりも、楽曲という「全体」の中に置かれ、他のパートが発する音と溶け合ったりぶつかり合ったりすることで俄然活きてきます。プーシキン以前の詩や戯曲や小説も、ロシア社会が西欧化によって史上例を見ない大変動を経験し、神や世界や言葉をめぐる人々の知の枠組みが根本的な転換を迫られていた当時のコンテクストの中に置いてみると、この上なく興味深い対象として立ち現れてきます。
研究という営みもアンサンブルと似たところがあって、これも一人の仕事によって完結するものではなく先行研究、研究者コミュニティ、読者、そしてその外に広がる国内外の社会といった他者とともに作る「全体」との関係の中で意味を持つものです。研究・教育環境として東大が恵まれているのは、「文学研究」「ロシア研究」のように比較的大きな単位で(現時点でも辛うじて)それなりの数の専門家を抱えており、各人が分業体制で専門研究の指導をしながら研究分野の全体像を示すことができる点だと思っていますが、そこには人と人とが直接間接につながり、お互いにできることを行って築いていく社会の縮図という面もあります。東大で学び、今後さまざまな形で社会の中で分業の一端を担っていく学生の皆さんと、この場で学問に謙虚に仕える経験を共有できることを楽しみにしています。

(言語情報科学/ロシア語)

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