HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報612号(2019年10月 1日)

教養学部報

第612号 外部公開

<時に沿って> 僥倖

大泉匡史

私は二〇一九年四月より総合文化研究科広域科学専攻広域システム科学系に准教授として着任しました。私の専門分野は理論神経科学です。これは、脳の情報処理を数理的に解明することを目指した分野です。私は、学部時代は物理学を専攻していたのですが、大学院時代から理論神経科学の分野に入り、脳がどのようにして外界の情報を符号化・復号化しているかという問題に関して、情報理論を用いて研究してきました。ポスドク時代は、統合情報理論という理論に出会って、意識研究の分野に入りました。統合情報理論とは、「情報」の観点から脳から生まれる主観的体験、すなわち「意識」を数理的に定量化する試みです。私は、統合情報理論の提唱者であるTononi教授の研究室で二年間ポスドクを行い、それ以降は主にこの理論に関係した研究を続けています。
さて、脳における「情報」と言った時、二種類の側面があります。一つは外界の情報が脳活動にどれだけ含まれているかという意味での情報です。これは脳活動とそれを引き起こした外界の刺激との関係性を明らかにすることで定量化できます。こちらを「外的な情報」と呼びます。従来の神経科学が主に対象としているのはこの意味での情報です。もう一つは、その脳を持つ本人の意識の中に含まれている情報のことです。これは例えば、本人が主観的にある物体が見えているか、といった意味での情報のことです。こちらを「内的な情報」と呼びます。統合情報理論は、意識と直接的に関係する内的な情報を定量化するための、新しい数理的枠組みを提案しています。私自身は、意識そのものというより、その新しい数理に面白さを感じて、この理論に関する研究を続けています。
ポスドク時代は意識研究という新しい分野で、楽しく研究を続けていたのですが、テニュア職を得る際には苦労しました。日本では意識研究をやっている研究者というだけでも極めて稀なのですが、意識の理論的な研究をやっている研究者となると、私が知る限りはほぼ皆無だと思います。従って、そもそもアプライできる公募の数がほとんどないのですが、運よく面接まで呼ばれても、落選するという経験を続けて三つほど繰り返しました。その頃には、このまま、異端の分野で研究を続けていてテニュア職を得られるのだろうか?と不安を感じるようになりました。実際、「あなたの研究はこちらではできません」などの言葉を面接で陽に言われていたので、研究内容がマッチングしないというのが落選の原因の一つであったと思います。もちろん、単純に自分自身の業績・実力不足も原因の一つには違いありません。このような職探しの困難にある中、東京大学の准教授として採用されたのは、本当に僥倖でした。また、海の物とも山の物ともつかないような私を採用することを決めていただいた選考の先生方には、感謝の気持ちしかありません。幸運にも安定した職をいただいたわけですから、これまで以上に、わけの分からない研究を思う存分にやり続けていくことが、私の最低限の責務であろうと強く思っています。

(広域システム科学/物理)

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