HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報613号(2019年11月 1日)

教養学部報

第613号 外部公開

<本の棚>大西由紀著『日本語オペラの誕生   ─鷗外・逍遙から 浅草オペラまで』

山口輝臣

駒場に通いはじめてしばらく経つと、どうやら大学というところは、教室で大人しくお勉強するだけの場所でないらしいことに気づくはずだ。現に毎日のように、なんらかの行事があり、それを告知するポスターや看板が、学内のあちこちに見られる。なかでもオルガン委員会が主催する演奏会は、次回が第一四二回という歴史を誇る駒場の名物行事。九〇〇番教室に設置されたパイプオルガンのコンサートが基本だが、ときに趣向を変えることもある。
二〇一七年七月には、特別企画として「一〇〇年前の異文化受容 浅草オペラという娯楽」が開催された。浅草オペラとは、関東大震災の直前に浅草で大流行した舞台作品群のことで、西洋のオペラやオペレッタの日本語上演と、書き下ろし台本に流行歌を採り入れたものとが中心だった。コミュニケーション・プラザで開かれたこのコンサートは、専門家のレクチャーをはさみながら、一流の歌手と演奏家による楽曲を聞き、そして最後は会場の全員で「コロッケの歌」を合唱するという、滅多に体験できない会となった。その企画をしたのが大西由紀さん。ここに紹介する『日本語オペラの誕生』の著者である。
タイトルからも分かるように、この本は、日本におけるオペラの受容を扱った書物である。ただ目の着け所が、これまでの類書とは、随分と違う。
従来の研究は、オペラが日本に受け容れられていく過程を、現在を基点に論じがちだった。原語によるオペラ上演、あるいは日本人による日本語オペラの創出といった到達点を基準に、そこへと至る道として過去を叙述するものであり、オペラの土壌のなかった日本における苦闘の歴史が綴られる。オペラを生んだ西洋の規範に忠実な視角であり、有体に言えば、本物のオペラを日本人が理解していくという物語である。
著書はこうした見方から距離を取る。まずは森鷗外や坪内逍遥のテキストに触れながら、明治の人たちにとって、オペラを理解するための参照枠が能や文楽や歌舞伎であったこと、また両者の違いとして、オペラをはじめとする西洋演劇では原則として登場人物の発話のみによって物語が展開するのに対し、日本の演劇では、歌舞伎のチョボのように、セリフ以外にいわば地の文を受け持つものがある点を重大視していたことを確認する。そしてこの懸隔に着目しつつ、明治中頃から大正末頃にかけて、オペラを念頭に試みられた音楽劇の数々を、それが本物かどうか気にすることなく、丹念に拾い集め、検討していく。
そこから見えてくるのは、オペラについて当時の人びとを悩ませたのは、オペラが音楽劇であるいうことではなく、それが自分たちの伝統とは異なる音楽劇であったことであり、その違いにどのように対処したらよいのかであった、ということである。オペラを生み出した土壌とは異なるものの、豊穣な土壌があったがための悩みというわけである。
著者は、こうした観点から、その土壌の影響を、広い範囲に見出していく。そのため、ヴァーグナー・ブームの影響や帝国劇場における試行錯誤といったオペラ史の定番ともいうべきものに加え、宝塚少女歌劇などによる子供向けの「お伽歌劇」、レコードに吹き込まれた『茶目子の一日』など、広範な作品を緻密に分析していく。そのトリに登場するのが浅草オペラである。こうした構成自体、西洋を規範とした受容史ではないからこそ可能になったものである。細部に冴えを見せるテキスト分析のおもしろさは、実際に読んでいただくほかない。読み終えれば笑顔になること請け合いである。
話を強引に二〇一七年のコンサートに戻せば、あの秀逸な企画の背後には、これだけの学識があったということになる。この駒場では、そうしたレベルの行事が何気なく行われている。予期せぬ出会いを逃さぬよう、顔を上げ、左右を見渡しながら、学内を歩いてみてはどうだろう。

(地域文化研究/歴史学)

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