HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報613号(2019年11月 1日)

教養学部報

第613号 外部公開

第一グラウンドの改修が完成しました

八田秀雄

農学校時代の駒場では、今の正門右横あたりに一周二八〇メートルの陸上競技場がありました。このグラウンドは大正から昭和初期の日本では権威ある陸上競技場で、日本選手権や全国高校総体が何度も開かれています。作家の坂口安吾が駒場での高校総体走り高跳びで優勝したということです。その後一高が駒場に来て、現在の第一グラウンドができたと考えられます。このグラウンドは前回一九六四年の東京五輪で練習会場となり、多くの選手に使われています。ただしその時はレンガ素材のアンツーカーグラウンドで、その後も土のグラウンドの状態が続きましたが、一九九四年にポリウレタンで全天候舗装されました。体育学部を持たない大学では当時としては珍しい全天候化でした。
それから二十年以上たち、走路表面の摩耗が進み、改修が必要な状況になりました。そこで陸上部OBOG会である東大陸上運動倶楽部では、二〇一五年から「第一グラウンド改修プロジェクト」を開始しました。その結果二〇一八年までにOBOGを中心に、関係者からも含めて八千万円の寄附が集まりました。さらに大学からも費用負担をしていただけることになり、二〇一八年度中にグラウンド改修を行うことになりました。その結果今年四月に日本陸連第四種競技場としての検定を通り、改修が完成しました。この改修により、これまで曲走路は六レーンまでしか使えなかったのが、七レーンまで使えるようになりました。投擲ネットを新しくし、ハンマー投げや円盤投げを国際規格で行えるようになりました。この他ルール更新に合わせた変更をいくつか行いました。
これを受けて六月二十二日に、五神総長を始めとするご来賓をお迎えし、第一グラウンド改修記念式典を行いました。五神総長から、寄附していただいた方々に対する感謝、運動環境を整えることの大切さ、大河ドラマ「いだてん」で放送されたように、日本最初の五輪選手は東大生三島弥彦であり東大スポーツの発展を願うとお話しいただきました。続いて太田研究科長、横川日本陸上競技連盟会長からもご式辞をいただきました。続いてエキシビションとして一〇〇メートルレース、四×一〇〇メートルリレーが行われました。一〇〇メートルでは五神総長にスターターをお願いし盛り上がりました。雨で内容に変更も入りましたが、来賓の方々五〇名、陸上部OBOG六〇名、陸上部現役部員一二〇名によって、盛大にお祝いできました。寄附をいただいた皆様方に改めて御礼申し上げ、この由緒あるグラウンドでさらに東大スポーツが発展することを願います。

(生命環境科学/スポーツ・身体運動)

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