HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報615号(2020年1月 7日)

教養学部報

第615号 外部公開

送る言葉「初夏の風 ─松岡心平教授を送る─」

品田悦一

もう三十年も前だから、記憶がだいぶ不鮮明になっている。そのころ駒場の助教授になったばかりの松岡心平さんをたまたま駒場東大前の駅で見かけ、呼び止めてちょっと立ち話をしたことがあった。まだ神野志隆光名誉教授が助教授だったころのことで、神野志研究室で月に一度開かれる研究会に向かう途中だった。何を話したかはすっかり忘れたが、初夏の爽やかな風に吹かれていた気がするのは、私自身も都内の女子大学の教師として三年めを迎え、前途にいくらか期するものがあったせいかもしれない。それと、お互いに「です・ます」で会話していたはずである。これは記憶ではなく、はっきりした感覚が残っている。
松岡さんも私も文学部国文科の出身で、松岡さんが四年先輩に当たる。修業時代の四年といえば、力量のうえで雲泥の開きがある。まして松岡さんは諸先輩のなかでも群を抜く逸材で、大学院時代に早くも中世芸能の分野で独自の学風を樹立し、新進気鋭の研究者として八面六臂の活躍を開始していた。その、雲の上の人が後輩に対し敬語を使うのは、持ち前の柔和な人柄の表れには違いないのだが、専攻分野の異なる私にいくらか距離を置いている気配もあって、ほんの少し寂しいような気もするのだった。
それから十三年後、縁あって私も駒場の教師となった。同僚として会話に敬語など交えない仲になっても、松岡さんの穏やかな物腰に変化はなかったが、やがて、その人柄の根底に意外に激しい気性が潜んでいることを知った。かなり年上の教授に廊下で憤然と抗議し、たじたじにしていたこともある。あれはたしか、博士論文の審査基準が甘すぎるという件ではなかったか。ごくたまにそういう一面を見せることがあって、怒りはいつでも物事の理不尽な取り扱いに向けられていた。
もう一つ意外だったのは、国文・漢文学部会の共編著として『古典日本語の世界』の準備をしていたときのことだ(正・続、東京大学出版会、二〇〇七・二〇一一年)。各自の原稿を持ち寄って批評しあう会合が何度か開かれるうち、誰かが「あとは松岡君のを待つだけだな」と言った。私がきょとんとしていると、別の誰かが「名うての遅筆なんだよ」と解説した。そうなのか、とその場では納得し、じっさい原稿の完成は松岡さんがいちばん遅かったのだが、あれだけ多くの論著を世に送り出してきた人物が「遅筆」とはどういうことなのか、いまだに釈然としない。
松岡さんと齋藤希史さん、それに私の三人でストラスブール大学に出張したとき、有名な大聖堂の尖塔に登ろうと螺旋階段をたどりかけたのに、松岡さんだけ途中で気が変わって、「還暦を過ぎた身には危険すぎる」と引き返して行った。齋藤さんと二人で「臆病だなあ」と笑ったものだが、その二人も最近は階段の上り下りに用心するようになってきた。
世阿弥は五十歳を過ぎてから「老いの美」を発見して新境地を開き、七十歳を過ぎて佐渡へ流されてからもなお意気軒昂で、芸に対する気迫は少しも薄れることがなかったという。何を隠そう、松岡さんの文章で読みかじったのだ。世阿弥の時代の七十歳は今の九十歳だろう。だから松岡さん、まだ何度も初夏は巡って来る。お互いこれからだろうと思うよ。

(言語情報科学/国文・漢文学)

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