HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報615号(2020年1月 7日)

教養学部報

第615号 外部公開

送る言葉「丸山真人先生を送る 経済人類学、地域通貨、そして環境経済学」

中西 徹

先日、古い資料の整理をしていたところ、いまや知る人も少なくなった「青焼き」のハンドアウトを見つけました。日付は「一九八三年四月二十五日」、報告者は「丸山真人」とあります。大学院の授業でマリノフスキーの文献を輪読していたときの重厚な内容の資料でした。懐かしさのあまり思わず手を休め、しばし達筆の興味深いコメントに読み入ってしまいました。
丸山先生とはじめて言葉を交わしたのは、まさに、その青焼きが作られた日、当時の経済学部地階の院生用複写室においてでした。現在のコピー機と青焼き複写機(ジアゾ式複写機)が混在していたその頃、院生は、そこで資料を複写していたのです。大学院の同じ授業に院生として出席していた丸山先生と松原隆一郎先生(現名誉教授)が、経済人類学と貨幣論について議論をされている最中でした。修士二年目の私には、お二人の議論は理解が困難だったので、思い切って丸山先生にお伺いしたのが、「初学者が『経済人類学』を学ぶ際に読むべき現代の文献は何か」というような、インターネットもなかった時代とはいえ、じつに稚拙な質問でした。しかし、バックグラウンドが異なる者の不躾な質問にも快く先生は懇切丁寧に答えてくださり、複数の文献をご紹介いただいたことを昨日のように記憶しています。その後、先生はカナダに留学され、帰国後は明治学院大学に赴任されたこともあって、お目にかかる機会が少なくなりました。
時は流れ、一九九九年、私は、あの「経済学部地階」の場を彷彿とさせる駒場の空間にご一緒させていただくことになりましたが、いつもお世話になってばかりでした。国内外の調査でも、たびたびご一緒させていただきましたが、なかでも、二〇〇一年のフィリピン出張の際の出来事は忘れることができません。情けないことに案内役の私がデング熱に罹患し入院するはめとなり、先生には、離島の農村調査に院生の引率までお願いしてしまったからです。そのようなときも、先生はいつものように和やかに快くお引き受け下さいました。
丸山先生は、若き時代より玉野井芳郎名誉教授門下の俊英として、ポランニー研究の第一人者として、「広義の経済学」と「地域主義」を重視する立場から「互酬」や「再分配」に着目し、いち早く日本に「地域通貨」を紹介され、さらにエコロジーをも射程に入れながら経済学における「人間」の存在を根本から捉え直してこられました。それは、経済人類学、貨幣論、環境経済学など、幅広い分野における研究業績に結実しています。教育面でも、丁寧なご指導によって多くの学生・院生を育てられ、物静かな語りのなかにも強い信念を秘められ、日本におけるマルクス経済学の再生にむけて大きな貢献をなさってきました。
丸山先生はその沈着冷静で穏やかなお人柄ゆえ、学内行政では多くの重責をお引き受けいただくことになりました。国際社会科学専攻長、「人間の安全保障」プログラム運営委員長などの役職を歴任され多大な貢献を果たされたわけですが、それゆえ実に大きな精神的・肉体的なご負担をおかけすることになってしまったことは断腸の思いです。二〇一五年一月に脳卒中で倒れられたときには、同僚、事務の方々、多くの学生・大学院生と共に途方に暮れました。しかし、先生は、その後、不屈の強い意志で、厳しいリハビリを見事に乗り越えられ、大教室における授業にも復帰されました。さらに、その過程でバリアフリーの整備の遅れがよく理解できるようになったとお話しくださり、その面からの環境整備にもご尽力されてきました。こうした先生のお姿に接することによっても、私たちは多くのことを学ぶことができましたことに対し、感謝の念に堪えません。
退職後は、駒場の激職から解放されます。ますますの研究のご発展をお祈りするとともに、今後ともご指導をよろしくお願い申し上げる次第です。

(国際社会科学/経済・統計)

第615号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報