HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報615号(2020年1月 7日)

教養学部報

第615号 外部公開

分子の箱を使って標的を高速・高感度検出?

平岡秀一

image615_04.jpg皆さんの目の前に形のよく似た二種類の物質があります。この二種類は皆さんがよく知っているものなので、形さえわかれば簡単にどちらがどちらか分かります。でも、見ることはできなくて、形がわかるように触ることだけが許されています。それなら簡単ですね。しかし、ちょっと意地悪で、一部しか触らせてもらえません。こうなると、区別できるか不安になりますね。これとよく似たことが分子の世界でも起こります。筒と箱を比べると、箱の方が分子全体を包み込むので、認識の精度は高いはずです。次に筒と箱の中に物質が入る(または出る)速度を比べてみましょう。もちろん、箱の中に物質を入れるには箱を開けなければいけませんが、筒ならその必要がないので、筒の方が圧倒的に速いはずで、分子の世界でも同じです。ここで、沢山の分子の入れ物(筒か箱)を用意し、その中へ入る分子(標的分子)がやってくると、両者の結合力に応じて入れ物の中に入る割合が決まり、これを使って、環境中に存在する標的分子の数(濃度)を調べることができます。このとき、入れ物として箱を使うと、標的分子の出し入れが遅いので、標的分子の濃度変化に対する応答(応答速度)が遅くなります。このため、標的分子を認識するには箱が良いけれども、応答速度の観点からは筒の方が良いのです。
我々は、標的分子に対する応答速度が速い箱状の分子を開発しました。この分子(ナノキューブ)は一辺二ナノメートル程の立方体形で、内部に一ナノメートル径の空間があり、ほぼ完全に外部から隔離されています(図)。ナノキューブは水溶液として調整することができ、そこへ液化石油ガス(LPG:プロパンとブタンの混合物)を吹き込むと、箱状であるにも関わらず速やかに中へ取り込まれます。また、LPGの濃度が下がると、それに応じてLPGが外へ出て行きます。LPGとよく似た炭化水素であるメタンやエタンや他の気体は全く中へ入りませんので、LPGに対して高い認識能力を示します。なぜ、ナノキューブを使うと、箱状なのにLPGの出入りが速いかというと、ナノキューブが六つの歯車の形をした分子が噛み合ってできているからなのです。ここで、歯車をした分子同士にはファンデルワールス力と呼ばれる弱い分子間力が働いていて、標的分子がやってくると、噛み合いを緩めて、標的分子が入るだけの隙間を作り、ナノキューブの内外における物質の移動を可能にしていると考えられます。このため、箱状なので、高い認識力を維持しながら標的分子の移動も速いという、相反する二つの利点を付与することができたのです。
つづいて、こうやって「認識した」という情報を外部に発信することを考えましょう。検知できても、その情報を周りに知らせないと、検知したかどうか分かりませんからね。このような材料をセンサーと呼び、本質的には検知する部分と外部へ発信するレポーターからなります。ナノキューブは噛み合ってできているだけなので、標的分子を取り込むと、その分子の形や電荷を感じ取り、自分自身の形や大きさを変化させることができます。今回、この特性によりナノキューブからの発光強度が変化することを発見しました。LPGを取り込むと、四五〇ナノメートル付近に観測されるナノキューブからの発光強度が約四倍に上昇し、LPGの濃度と発光強度の間に相関があることから、発光強度を使ってLPGの濃度を知ることができます。
LPGはカセットコンロなどの移動用の燃料やスプレー缶の充填剤として身近に使われていますが、〇・二体積%以上で爆発の危険がある物質です。ナノキューブは〇・一体積%のLPGまで検出ができるので、LPGの爆発限界の濃度以下でも検出可能なばかりでなく、センサーを構築するために必要なものは、ナノキューブの水溶液とLEDランプに蛍光の検出器だけと、とても単純です。市販のガス検知器と比べ、LPGを選択的に検知できる点でナノキューブは優れていますが、市場では天然ガスの他にも危険なガスをまとめて検出できる方が便利なので、ナノキューブがこれまでのガス検知器に代わることはありません。我々の興味は、今回明らかになった箱状の分子を使って、高い認識能と速い応答を兼ね備えるデザイン原理にあり、これを使って、高度に分子の情報をやり取りする仕組みを作れると考えています。

(相関基礎科学/化学)

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