HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報616号(2020年2月 3日)

教養学部報

第616号 外部公開

駒場をあとに「私の人生そのものとしての駒場キャンパス」

丹野義彦

一九九一年の赴任以来三十年近く駒場の教員をつとめました。お世話になった同僚の先生方、職員のみなさま、学生のみなさまには心から感謝いたします。
駒場キャンパスは私の人生そのものでした。これまで研究・教育・学内活動・学会活動それぞれ手を抜かずにまじめに仕事をしてきたつもりです。毎日が激流下りのようでした。パドルを操って障害物を次から次へとよけながら、朝から夜まで息つく暇なく猛スピードで下ってきたような三十年でした。専門は臨床心理学ですが、私は教育学教室の主任(といっても教室員は私一人)でもありましたので、教育学に関する授業も担当しました。「現代教育論」の授業はまじめに取り組み、多いときは毎年千人以上の受講者がありました。この三十年を合わせれば、おそらく駒場で最も多くの学生を教えた教員のひとりではないかと自負しています。
駒場の前期・後期・大学院の三層構造の仕事をすることは、心身ともにきわめて過酷です。一九九四年、『知の技法: 東京大学教養学部「基礎演習」テキスト』の自己紹介文で、私は次のように書きました。「最近定年を待たずして亡くなる教員が出てきた。三層構造駒場の激務の証拠。明日は我が身か。」あれから二十五年。定年まで生き長らえることができて、ホッとしています。よくここまで心身がもったものだと思います。
とはいえ、楽しい仕事もたくさんしてきました。大学教育や教育史について研究し、幸い親の遺産が手に入ったので、世界の大学や研究施設を回ることができました。欧米の大学は、良い意味で観光地化されているので、キャンパスめぐりは楽しい娯楽です。多くの大学は建物や庭園を美しく整備して、訪問者を歓迎します。キャンパス内は治安もよく、学生は礼儀正しく、キャンパスをたくさんの観光客が歩いています。こうした大学歩きの楽しさを伝えるために、『ロンドンこころの臨床ツアー』『アメリカこころの臨床ツアー』『イギリスこころの臨床ツアー』『イタリア・アカデミックな歩き方』の四冊を出版することができました。最近若い研究者や学生が海外に関心を失う「内向き志向」が指摘されますが、これらの本によって、ひとりでも多くの若い方が、海外の大学や文化に関心を持っていただけたらと思います。現在は大学や学術の世界史的な流れに関心を広げ、ドイツ編と地中海編に取りかかり、ホームページで公開しています(どなたか出版先を紹介していただけないものでしょうか)。
また、日本の大学教育や教育史については、前述の『知の技法』でも触れたのですが、大学教養部のルーツである旧制高等学校に関心を持ち、授業でも話してきました。旧制高校は「日本の教育制度の最高傑作だ」という人もあり、今後、私は「旧制高校を世界遺産に」というキャンペーンを始めたいとまじめに思っています。東京大学教養学部のルーツである旧制第一高校(一高)は、最初の旧制高校であり、駒場キャンパスはその歴史の宝庫です。私はかつて以下の四点を提案しました(東京大学駒場学生相談所紀要22巻「一号館の整備計画の提案:一高記念エリアとして」)。
①一号館の時計台を一高のシンボルとして公開する、
②一号館の中庭にカフェを置いて学生の「憩いの場」として整備する、
③駒場の地下トンネルを「一高記念地下道」として公開する、
④一号館を「一高記念館」として整備する。旧制高校は新制大学の教養部として受け継がれましたが、八つのナンバースクールの中で、旧制高校の記念館を持たない大学は東京大学だけであるのは残念です。
駒場キャンパスは、学生時代の私にとっても印象深いものでした。一九七三年に文Ⅲに入学した私は、当時はやりのステューデント・アパシーにかかり、堅い本を読むことができなくなりました。小説は読めたので、同じクラスの友人達と「鋒鋩」という文学同人誌を作りました。カフカやレムや、当時はやりの安部公房や大江健三郎などをモデルとして創作をしました(『部屋の地図』という長編が未完のままなのは今でも心残りです)。駒場一年次の進学振り分けの平均点が最初は五十九点だったので、希望する心理学科にはとても進めそうになく、また、体育の授業で出席を取るときに、クラスの友人が善意で代返してくれて(駒場時代の友情は一生ものです)、それがバレて降年しました(身体運動の先生方、当時はご迷惑をおかけしました)。学生時代は混乱と激動の時期で、大学の学生相談所にお世話になり、それが回復のきっかけとなりました。その恩返しもあって、教員となってからは学生相談には真剣に取り組みました。まさに駒場キャンパスは私の人生の縮図です。
これからは、ライフワークである公認心理師の仕事をしながら、世界・日本の大学や教育遺産めぐりをしたり、中断していた長編小説に四十年ぶりに取りかかれる時間が取れるのが楽しみです。

(生命環境科学/心理・教育学)

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