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最終更新日:2021.02.03

教養学部報

第616号 外部公開

<本の棚>田原史起 著 『草の根の中国 ─村落ガバナンスと資源循環』

中西 徹

急激な変貌を遂げてきた中国だが、そこに生活者として生きる民衆、とくに農村部の人々についての声を聞く機会は驚くほど少ない。中央集権国家において周辺にいる人々はどのような戦略を立案し生きているのであろうか。本書は、このような疑問に答えるべく、著者の田原史起先生が、二〇〇一年から農村部の調査を繰り返し行い、その成果を纏めた見事な中国村落研究である。著者は、ときには主体的に、ときには共同する、つまり「他律的合理性」を有する農民行動に着目し、中国農村を、公(政府)、共(コミュニティ)、私(個人)からなる「ガバナンス」として捉え、その動態を農民たちの語りと行動から解明しようとする独創的視点を提示する。従来、顕著な都市偏重の下、農村が「自力更生」を押しつけられる中で、農民たちは、James Scottのいう面従腹背を基礎とする日常的抵抗を駆使してきた。著者の分析枠組みは、農民一人ひとりを大切にしながら「村」の振る舞いを説明するための適切な舞台装置なのである。
本書の真骨頂は、長期の実態調査に裏付けられた第三章から第六章の特色ある四つの地域の農村を対象とする「厚い記述」にある。そこには、「村落ガバナンス」の構築を通じて、長期的利害に十分に配慮しながら、政府のコミットメントや経済発展に伴う変容を、利用し、やり過ごし、あるときは出し抜きながら、巧みに生きていく術を発達させてきた、活力ある農民の姿が目に浮かぶように生き生きと描き出されている。
まず、沿海地域山東省の果村は、人民公社時代からの集団経済がスムーズに継承され自立した「コミュニティ」が醸成された「優等生」であるものの、それは決して中国農村を代表する事例ではない(第三章)。しかし、内陸部に顕著な、「停滞した農村」のイメージもまた、我々のステレオタイプであることを、著者は三つの農村を通じて説得的に例証する。
内陸部の最初の事例は、一見すると「存在感がない村」に感じられる江西省花村である(第四章)。著者は、そこに、出稼ぎによる人材流出に対して、ガバナンス内部での「簡略化」によって巧みに対応してきたメカニズムを発見する。たしかに出稼ぎ者からの送金によって、個別家計は豊かになったものの、経済活動年齢層の長期的流出は各種資源の不足を生んだ。農民たちは、この状況に対して、村の行政組織のスリム化、農作業における機械導入と外部委託、子弟教育の血縁・姻戚関係者への外部化、道路建設における外部資金調達のための長期的探索といった術を駆使してきたと解釈できるのである。
続く事例は、中央政府をかわして山岳地帯に逃げ込んだ大陸東南アジア少数民族の歴史を想起させる貴州省石村であり、個人的に最も興味深かった(第五章)。この村でも、内陸部ゆえ道路建設が急務であったが、地元出身の有力者が公共事業誘致に積極的役割を果たしている。注目すべきは、村民たちの間には、それを可能にする人財の育成のためにも、子弟への教育投資を重視する共通理解があり、私塾の充実によって子どもたちの高学歴を支えてきたという事実である。立身出世した子弟の多くは将来に帰村しないことも織り込み済みであり、そのかわりに彼らは贅を尽くした巨大な墓碑への資金援助を行うという、村との間に互酬が成立している。それは、血縁関係を再確認する機会であると同時に、村内雇用を促進し、資材搬入のための道路の建設と保守のための投資を誘発し続け、公・共・私の間のガバナンスによって、持続的な発展が可能になる装置と考えられる。
最後の事例は、あらゆる資源に乏しく停滞的にみえる副業の短期出稼ぎ者が多い甘粛省麦村である(第六章)。そこでは、人々は、地元を離れず、村落内部のみならず外部地域や宗教文化を含む広義の地域資源の中でも小さな資源を重視する。その社会は、「足るを知る」経済を重視する循環型小世界なのである。
以上のように、本書では、中国農村で繰り広げられる様々なレベルでの生きるための駆け引きについて、「村落ガバナンス」の観点から、多くの興味深い事例が雄弁に語られている。本書は、日本がグローバル化の先に到達するであろうシステムの中で、如何なる対応が可能であるかを考える際に、有益な示唆を与えてくれるという意味で、社会科学分野において幅広い波及効果を有するものであり、本格的な地域研究の範としても、後進の研究者にとって素晴らしい財産となるであろう。今後の田原先生の研究の発展に大いに期待したい。

(国際社会科学/経済・統計)

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