HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報618号(2020年5月 8日)

教養学部報

第618号 外部公開

〈後期課程案内〉 文学部

人文社会系研究科 副研究科長 小島 毅

役に立たないからこそ役に立つ
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/

文学部とは、人が人について考える場所です。私たちは人間を対象とする教育研究を行っています。人間は自分が得た知識を次の世代に伝え、それを代々蓄積して今の文明を築いてきました。しかしその知識は完全なものではありません。文学部の特徴は既成の知識を問い直し、その枠組みを再検討する点にあります。
こう言うと意外に感じる人が多いかもしれません。「文学部って、歴史とか文学とか、すでに出来あがっているものを対象にするのではないか」と。いいえ、そうではないのです。
歴史とは「何年何月にどこそこで何があった」ということだけを学ぶものではありません。その出来事がどんな意味を持つかを明らかにする作業も重要です。そもそもその出来事を後世の私たちがなぜ覚えていなければならないのでしょう。そこには無数の事実から特定のものを選別するという判断がはたらいています。記録された出来事がその通りの事実なのかどうかを検証する作業も必要です。なぜなら、記録を作った人がなんらかの意図をもって出来事を書き換えたかもしれないからです。
文学にしても同様です。私たちが目にする文学作品はどのようにしてその形になったのでしょう。それが傑作と評価されて後世に読み継がれているのはなぜでしょう。作品は常に解釈しなおされることで、新たな相貌を獲得します。
思考を扱う哲学・思想・宗教の分野も、行動の様式や深層を探る社会学や心理学の分野も、さまざまな言語を対象にする分野も、めざすところは同じです。
文学部は平成二十八年から一学科制を採用しています。文学部人文学科です。「文」がセンテンスの意味でないのはもちろん、リテレチャーでもありません。文学部の英語名はFaculty of Lettersです。このレターは手紙ではなく、広く「書かれたもの」を意味します。漢字の「文」も紋様という元来の意味から発展して文字を指すようになり、そして文字で書かれた記録を広く意味するに至りました。
星々の運行の記録を中国の昔の人は天文と呼びました。人文とは人間社会の諸事象の記録を指します。記録は言葉による文字資料とは限りません。造形作品や考古遺物も人間活動の記録です。社会調査や心理実験で得られるデータも、人間の外面と内面の行動の記録です。これら多様な手法によって既成の知識を問い直し、実はわかっていないのにわかったつもりになっていたことに気づく、それが文学部での学びです。
ですから文学部は「すぐ役に立つこと」を教育の主目的にしません。「すぐ役に立つこと」は「すぐに役に立たなくなること」でもあります。文学部の視線は(分野によって程度の差はありますが)遠くを見ています。今日わかったことが明日の生活を改善するわけではありません。そのため「役に立たない」と陰口を言われたりします。でもそれは、そう感じる人のタイムスパンが私たち文学部の人間とは違うからです。人生百年時代と言われます。長期的な視野に立って物事を考えるには、文学部は恰好の場所です。
文学部の教員たちがどんな研究をしているかは、ビブリオプラザ(UTokyo Biblio Plaza)を覗いてもらえばわかります(https://www.u-tokyo.ac.jp/biblioplaza/ja/)。教員たちの著書の一部が本人による説明付きで紹介されています。専門的で深遠な研究成果はもとより、当該分野の概説書や一般向けの新書まで、多様な種類の読者を想定した書籍が並んでいます。
人文学科は二十六の専修課程によって構成され、学生はそのいずれかに所属します。この組織は俗に研究室と呼ばれ、文学部の基礎単位です。大学院人文社会系研究科は文学部と一体的な関係にあって各研究室は個々の専門分野に対応していますが、文化資源学研究・韓国朝鮮文化研究という独立専攻もあります。他に附属センターや国際交流室があり、また北海道北見市(カーリング競技で有名)に北海文化研究常呂実習施設を置いてオホーツク海に面した遺蹟で考古学・博物館学の実習授業を行っています。
また、人文社会系独自の卓越大学院プログラムがあり、教員の指導下に研究に従事して報酬を得ながら勉学に励むことができます。学部段階から博士課程までを見据えた学・修・博一貫教育を施すことによって、将来の研究を担う世代を育成しようという趣旨です。
一方、学部を卒業して社会に巣立つ学生の就職先の業種は、教育関係、出版、官公庁、金融、通信、流通など幅広く、職場では文学部で身につけた論理的な文章を書くというスキルが重宝されているようです。この点で文学部での学びは「すぐ」ではなくても数年後には「役に立つ」と言えるでしょう。
日本の将来は見通しがつきにくい状況にあります。二十年後、三十年後に諸君に求められることになる職業上のスキルは、今はまだ存在していない未知のものかもしれません。実用的ではないにしても、いやむしろそうであるからこそ、文学部での学びは諸君にとって生涯の宝になることでしょう。

(副研究科長/中国哲学)

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