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最終更新日:2020.06.05

教養学部報

第619号 外部公開

<本の棚> 井坂理穂・山根聡 編『食から描くインド ─近現代の社会変容とアイデンティティ』

長谷川まゆ帆

食物の浄、不浄のバウンダリーが今も強固に生き続けるインドでは、宗教がむしろ近代の中で活性化し、食をめぐって生じる集団間の衝突や不協和音が絶えない。社会の変容や揺れ動くアイデンティティの行方を、また植民地化と分離独立を経て「西洋」と「アジア」が織りなす衝突と融合の過程を、食という視点から考察するのに、これ以上に格好の研究対象となりうる地域はないだろう。
食が人文社会科学の学術的探求の主題となって四〇年、研究のすそ野は広がり、時代や地域を超えて食が社会の成りたちに深く関わっていることが認識されている。いまや食文化の歴史を正面に据えてフランスで博士論文を準備している学生もいる。現代社会が日々提起する課題を糧に、人と食との間の考察は今後ますます盛んになっていくだろう。
そんななか本書は、インドの広大な諸地域を対象に、食からその社会をよりよく理解しようとした共同研究の成果である。歴史学や社会人類学、宗教学など南アジアを専門とする十一名の研究者が一堂に会し、食をテーマに編み上げた真摯な試みである。
扱われている地域は、北部のデリーやパンジャーブのみならず、テランガーナやアーンドラ・ブラデーシュ、カルナーカタ、マハーラーシュトラなど、デカン高原より南の地域にも広がっている。研究に必要な言語も英語やヒンディー語はもとより、グジャラーティー語やマラーティー語、さらにはテルグ語、カンナダ語、ウルドゥー語など多岐に及ぶ。このウルドゥー語はもともと十一世紀以降、デリー近郊で話されていた言語にアラビア語、ペルシア語、トルコ語などの要素が加わり育まれたものだが、十九世紀にはこの言語でムガル朝時代の宮廷料理についての懐古的記述がなされている。他方、コラムには中世サンスクリット語で書かれた薬膳及び宮廷料理の書の考察もあり、これも梵語を知らずしては解き明かせない領域である。
何よりも驚かされたのは宗教の多様性である。牛を食べないヒンドゥー教徒、豚を食べないイスラーム教徒が多いのは確かだが、仏教徒やキリスト教徒のほかに、不殺生の菜食主義者であるジャイナ教徒、鱗やひれのない魚を食べないユダヤ教徒、シク教徒、そして「パールシー」と呼ばれるゾロアスター教徒もいる。パールシーの起源はイランからの移民とされている。柔軟に植民地支配者たちとも交わり西洋化し、エリート層を形成している。
各章の問いや考察の仕方は多様であるが、いずれも現代インドのリアルな姿が見えてきて興味深い。たとえばいくつかの章は、植民地支配下にインドに来たイギリス人や、逆に五〇年代にイギリスに渡ったインド人をとりあげ、その食における異文化の接触による変容をとらえようとしている。またナショナリズムと「台所」が深く連動していること、料理書の出版を通じて「インド料理」がまさに作りあげられてきたことを論ずる章もあれば、インドを代表するチキンティッカー・マサーラーとバターチキンの違いと由来を問い、そこに分離独立の問題が深く関わっていたことをつきとめていく章もある。最終章にはグローバル化のなか「ハラール(合法)」という食品表示が広がりつつあることも忘れずに配置されている。
ジェンダーについての論稿も同様である。たとえば税収との関連で厳格な禁酒政策の緩和が複雑な波紋を呼び起こすなか、飲む酒の種類にもジェンダー差があるという。しかしその一方で、現代インドの小説に描かれた「買う」「つくる」「味わう」女性像から、そこに従来のジェンダーロールへの静かな抵抗を読みとる章もあり、変わらないようで変わることを望むもう一つのインドも見えてくる。
一方、コラムにはさりげなく、漱石の時代から今日に至る日本の「インドカレー」との関わりや「インド料理店」の急増についての考察もあり、また多種多様なスパイスの意味と役割についての生きた解説に加えて、ムンバイーから近いプネーのバラモン一家の家庭に長期滞在し、家庭料理を深く知り尽くしたマニアックな体験調査もある。
つまり一冊でこれ以上に深くインドを知ることのできる書物も他にないのではないか。それが読後のわたくしの率直な感想であった。

(地域文化研究/歴史)

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