HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報619号(2020年6月 1日)

教養学部報

第619号 外部公開

<時に沿って> 再びの駒場

川喜田敦子

二〇二〇年四月に総合文化研究科地域文化研究専攻に着任し、同時に、グローバル地域研究機構ドイツ・ヨーロッパ研究センター(DESK)のセンター長も引き受けることになりました。私は二〇一〇年三月までDESKの特任教員を務めていましたが、その後、大阪大学大学院言語文化研究科、中央大学文学部を経て、今回、十年ぶりに駒場に戻ってきたことになります。
思い起こせば、私が中学を卒業し高校に入学した時期に、ドイツは、ベルリンの壁崩壊から東西ドイツ統一へと向かいました。私の学んだ都立戸山高校では、高校二年次に選択科目として第二外国語を履修することができ、ドイツ語かフランス語のどちらかを選ぶことになっていましたが、私たちの学年は圧倒的多数がドイツ語を選びました。この世代にとって、ベルリンの壁崩壊は、それだけ衝撃的な出来事だったということです。
当時、そこまでの覚悟でドイツ語を学びはじめたわけではありませんでしたが、大学に入ってからもそのままドイツ語の履修を継続し、結局、今にいたるまでドイツ現代史の研究を続けています。研究の世界に入ろうと思い立ったのは、駒場の後期課程(現在の教養学科・地域文化研究分科ドイツ研究コース)で、ドイツの歴史教育というテーマに出会ったことによります。当時、私が最も関心をもち、卒論でも取り上げたのは、冷戦下、西ドイツとポーランドの歴史家が集まり、両国の歴史教科書を互いにチェックして、双方がともに受け入れられる記述を目指した国際歴史教科書対話の活動でした。大学院では、このテーマからドイツ=ポーランド関係史へと興味が広がり、第二次世界大戦の戦後処理の一環として東欧一帯からドイツ系住民が強制移住させられた「追放」とよばれる問題に焦点を移しました。これはいわばドイツ版「引揚」とでもいうべき出来事です。敗戦国の被害体験としてドイツが第二次世界大戦とナチズムの過去を想起するうえで今なお一定の影響をもつ出来事であり、日本から見て、歴史認識の構築という点でも興味をそそられる対象です。
私がドイツについて研究するようになった背景には、そうした意味で、間違いなく、日本の問題があります。自分の属する社会と研究対象地域、そして世界の動向。地域研究においては、だれもがそのすべてを意識して研究を展開します。ただ、そのいずれをどれだけ意識するかは個人の判断により、私の場合は、取り上げようとする問題が、日本のことを考えるうえでどのようなインスピレーションを与えるかが研究の大きな原動力になっています。
ドイツについて考えながら、日本について考え、改めて世界について思いをめぐらせる。歴史的事象を扱いながら現在について考え、現在を意識しながら歴史を振り返る。そういう地理的にも時間的にも自由な思考の往来を許容し、刺激する環境が駒場にはあります。この場に再び身を置くことができることを嬉しく思います。

(地域文化研究/ドイツ語)

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