HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報619号(2020年6月 1日)

教養学部報

第619号 外部公開

<時に沿って> 駒場を歩む

河崎啓剛

私が駒場に入学したのは二十年近く前の事です。理Ⅰでしたが、当時私なりに一番頑張ったのは、第二外国語の中国語とプログラミングでした。面白い事にどちらも今の仕事(と家庭生活)に欠かせない要素になっています。実力は、文字通り「教養でかじった程度」ですが。
とにかく語学の勉強ばかりが面白い、さまよえる理Ⅰでした。語学の授業はいろいろ取りました。英語もなんとか頑張りたくて、夏休みにWWOOFというのでオーストラリアに行きました。初めての海外生活の最初の一ヶ月を五千円程で過ごしたのが自慢です。ホストファミリーの一つは奥様がパプアニューギニア人で、Tok Pisinという英語クレオールに出会いました。「単語は一〇〇〇くらいだが、この世界のことは全て表せる」と熱弁していたスウェーデン人のご主人の言葉が印象的です。そこでは黙々とマカデミアナッツを拾い、大きな斧で数ヶ月分の薪割りをしました。夏休みが終わり駒場に帰った私は、しばらく迷いに迷い、言語学を専攻することを決意しました。
当時、私が特に興味を惹かれて行ったのは、まず上代日本語。そして中国語諸方言、朝鮮語、ベトナム語等の漢字圏の言語。そしてモンゴル語、タミル語。最後に行き着いたのは朝鮮語史でした。大学院からはソウル大学に留学し、ご縁あってスンシル大学で七年間日本語を教えました。韓国で過ごした十年間は、いろいろな意味で、今の私の中核となっています。今でも時々辛いものを食べなければ生きていけません。
私の専攻は朝鮮語史、特に十五世紀の朝鮮語です。この時代は、何と言っても新国家建設に燃える朝鮮の王とそれを支える学者たちによって創製されたハングル文字によって朝鮮語が初めてその全体像を見せる時代であり、朝鮮語史理解のための要となります。その研究は、ここ二十年程の間にコーパスによる研究環境が整ってきたことで、大きな発展の可能性が拓かれました。今後研究が進んでより理解が深まり、より学習しやすくなるにつれ、(特に日本の)言語学界において占める重要性も高まって行くことと思います。
話は変わりまして、実は私は常々疑問に思っていることがあります。一つ目。ほとんどの人にとって言語とは、一時たりとも離れられず、私達の生活にこんなにも密接に関わるものなのに、なぜ言語学は、一般的に、例えば経営学や心理学ほどに「実用的」とは見做してもらえないのだろうか。二つ目。ある人や国のことをよく知りたければ、その人の経歴やその国の歴史を知りたいと思うのは当然のことだし、その必要性・不可分性は誰もが認める所なのに、なぜ言語(朝鮮語)となると、こうも現代語の研究・教育から歴史的視点が「排除」されがちなのだろうか。今はなんとなく、このあたりに私が駒場で「伝えられる事」があるような気がしています。この度、再び与えて頂けることとなった駒場とのご縁を大切にし、これからお世話になる学生の皆さん、同僚となる先生方、職員の皆様方と共に、移り行く駒場を歩んで行ければと思っております。

(言語情報科学/韓国朝鮮語)

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