HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報619号(2020年6月 1日)

教養学部報

第619号 外部公開

<時に沿って> 虫を追いかける理由

奥崎 穣

二〇二〇年の四月に総合文化研究科広域システム科学系の講師に着任しました奥崎です。
「オサムシという昆虫の生態や進化を研究しています」
引きこもりがちな研究者でも一般の方と接する機会はあるもので、自己紹介のときにはこのように言うようにしています。すると大抵、「何の役に立つの?」と聞かれます。はっきり言って役には立ちません。そう聞かれると困ります。一方、研究者の方に同じように自己紹介すると、「何が面白いの?」と聞かれます。今度は迂闊なことを言えないので緊張します。
どちらであれ、二言目には私が言葉に詰まるため、会話が続かないことが多いです。それでも気のいい方は、「なんでオサムシなの?」と質問を続けてくれます。これには即答できます。カッコいいからです。小さい頭にくびれた身体、長い脚と凛とした立ち姿、こんな美しい昆虫は他にはいません。しかし、なぜカッコいいと思うかを説明するのは大変です。おそらく質問した人はそこまで深い回答を求めていないと思いますが、研究者の性なのでしょうか、ついつい考えてしまいます。
私はもともと虫好き、いわゆる虫屋と呼ばれるような人間ではありません。オサムシを研究対象にしたのは、指導教員に勧められたためです。博士号をいただいてからも、たまに自分はなぜオサムシの研究をしているのかと考えていました。それでも気づけば、体は勝手に野外調査に向かいます。
その日の調査は雨が降っていました。愛車から降りて、雨合羽を着込み、時刻確認のために携帯電話を取り出して、ふと視界の違和感に気づきました。目に映る携帯電話、雨合羽、愛車、すべてが同じオレンジ色なのです。そこで私は初めて、自分に色に対する無意識的な好みがあることを自覚しました。
そこに気づけば、さきほどまでの悩みは解決したといってもいいでしょう。私がオサムシの研究を続けるのは、おそらく無意識的にオサムシを好む性質を持っているためです。私がオサムシと出会ってから十五年近く経っています。途中でいくらでも研究対象を変えることはできたはずです。しかし、そうしようと思ったことはありませんでした。
誰しも好きな音楽や料理、あるいは美しいと思える風景や人物像があります。しかし、自分がなぜそれを好きなのか、なぜ美しいと思えるのかを説明できるでしょうか?もちろん思い出などの経験に由来する好みはあるでしょうが、音や味、色といった知覚的な好みは説明できないのではないでしょうか。
私はまだ見ぬオサムシを求めて何日も登山をしますし、離島にも渡ります。またその美しさを最大限引き出すために、一日中標本を作り続けられます。偶然とはいえ、夢中になれる研究対象に巡り合えたことは幸運です。大学の教職に就くのは初めてですが、私がオサムシから得た感動を多くの学生・教職員と共有できるように努めてまいります。

(広域システム科学/生物)

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