HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報620号(2020年7月28日)

教養学部報

第620号 外部公開

日本化学会学術賞を受賞して ─分子が集合し秩序構造を形成する仕組み

平岡秀一

この度、「分子自己集合過程に関する研究と分散力を利用した一義自己集合体の開発」という研究に対し、第三十七回日本化学会学術賞を受賞いたしました。私の研究対象は分子自己集合という分子が自発的に秩序構造をつくる現象で、主に二つの問題に取り組んでいます。その片方の研究ついては過去の教養学部報(二〇二〇年一月六一五号、二〇一八年七月六〇二号、二〇一一年七月五四〇号)でご紹介してきました。今回はもう一方の研究に触れたいと思います。
この研究は二〇一二年に着手しましたが、その発端は一九九八年に参加したゴードン会議まで遡ります。美しい構造の分子自己集合体を作ったという基調講演に対する質疑の時に「この自己集合体の形成メカニズムは?」という質問が出ました。これに対する返答を要約すると「複雑でとても難しい問題である」というものでした。この分野の研究者であれば知っている「誰も答えられない」この質問も、分子自己集合の分野に入り五ヶ月足らずの博士研究員の私には、「なるほど自己集合過程を知ることは不可能に近いのか」と新鮮で勉強になりました。その後、このことは忘れ、新しい自己集合体を作るという研究に集中し十二年の時が過ぎました。二〇一〇年、駒場への着任を機に誰もやったことがない何か新しい研究を始めたいと考え、あの不可能に近い課題を想い出しました。幸い十二年を経ても自己集合過程を明らかにするという問題を本質的に解決する研究は発表されていませんでした。
なぜ、自己集合過程を調べることが難しいのでしょうか。分子自己集合では考えうる中間体が多数存在し、単純な場合でも数十、多くは数百から数千、数万もあります。さらに、これらは互いに複雑につながっており、反応ネットワークを作っています。このような複雑で多段階の過程をエネルギー地形として表現すれば(図はとても単純化したもの)、自己集合過程を知ることはエネルギー地形上をどの経路を辿って最終的な自己集合体へ至るのかという問題です。皆さんならどうやって調べますか。どのような中間体が生成し、これらの生成量の時間変化を調べれば良いですね。ただし、中間体の数が少なければ可能ですが、数十もあったらかなり難しく、多くの分子自己集合では前述の通り数百から数千、数万もの中間体がある場合もあり、この方法ではお手上げです。また、どの中間体も同じ構成要素から構成されるため、例え数十の中間体であっても、それぞれを区別し、生成量まで調べることは不可能に近いです。そのため、これまでにこの方法で全ての中間体を調べた研究はありません。一方、出発物質と最終生成物の量を調べるなら中間体に比べずっと簡単です。我々は、全ての出発物質と最終生成物を定量することで、全中間体に含まれる構成要素の組成比を調べ、その時間変化から分子自己集合過程を調べられないかと考えました。このアイデアに基づき開発したQASAP(Quantitative Analysis of Self-Assembly Process)という方法は二〇一四年に最初の論文を発表して以来、現在までに二十種類以上の分子自己集合体の形成過程を明らかにしてきました。QASAPにより、最も遅い段階(これを律速段階と呼ぶ)を特定したり、ある時間帯に主にどのタイプの反応が起こっているかを知ることができることがわかりました。さらに、最終生成物の千倍以上も大きな中間体を一過的に形成する場合や、最終生成物には含まれない第三の分子が関与することで、自己集合経路を変化させる場合があることもわかってきました。最近、QASAPで得られた実験データを数理モデルによって解析する手法 (NASAP:Numerical Analysis of Self-Assembly Process)も開発し、中間体がどのように成長し最終生成物へ至るかをさらに詳しく知ることができるようになりました。我々の関心は分子自己集合を支配する一般原理を突き止めることで、最近その手がかりを見つけました。一般原理を明らかにできれば、これに基づいて自己集合経路を合理的にデザインし、生命が達成しているような複雑で準安定な分子自己集合体を人工的に作れるようになると信じています。

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(相関基礎科学/化学)

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