HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報620号(2020年7月28日)

教養学部報

第620号 外部公開

<時に沿って> イタリア文学との遭遇

山﨑 彩

二〇二〇年四月に総合文化研究科言語情報科学専攻に准教授として着任しました。専門はイタリア文学です。イタリア文学と出会ったのは、駒場にいた大学二年生の時です。高校時代は漠然と歴史の勉強がしたいと思っていましたが、大学に入って少し経つと、過去の人々の想像力の系譜をたどってみたいと考え、そのために歴史ではなく、文学の研究をしたいと思うようになりました。ある日、図書館でイタリアの現代作家タブッキの『インド夜想曲』という小さな本を借りたことが、イタリア語とイタリア文学を勉強するきっかけになりました。この小説に私はすっかり魅了されてしまい、この当時、まだあまり訳されていなかったタブッキの小説を読むためにイタリア語を勉強したいと思いました。また、それまでに翻訳でいくつか読んだイタリアの小説が面白かったことも思い出し、日本に紹介されていないイタリアの小説を思いのままに読めたら楽しいだろうなと考えました。それが、ちょうど進振りの時期でした。文学部のガイダンスで、東大に南欧語南欧文学研究室という日本でも珍しいイタリア文学の研究室があることを知って、すぐに進学することを決めました。とはいえ、実はこの時、肝心のイタリア語がまったくできなかったので、後でかなり困ったことになります。
こうしてイタリア文学の勉強を始めて、大学院以降はイタロ・ズヴェーヴォというトリエステの作家の作品を研究テーマにしました。トリエステはイタリアとスロヴェニアの国境にあり、一九五四年に最終的な国境線が定められるまで、慢性的にアイデンティティー・クライシスに陥っていた町ですが、ここから強烈な個性をもったイタリア語の書き手が生まれました。
大学院進学後に、留学を二回しました。一度目はフィレンツェ大学でした。フィレンツェは魔法のような町でした。紙の上の文字でしかなかったイタリア語が、人々の話す言葉と結びつき、やっと生きた言語として自分の中に響き始めたのがこの頃です。二度目は、博士論文を仕上げるためにピサのスクオーラ・ノルマーレに一年間滞在しました。学校の横にある中世の塔が図書館になっていて、実はこの塔、『神曲』の有名なエピソードの舞台でもあるのですが、そこで、大聖堂の斜塔を眺めながら論文を書きました。
大学院を修了後は、長い間、大学の非常勤講師をしていました。非常勤講師の仕事は常に不安定で収入も低いですが、特に、妊娠・出産は難事でした。子どもが保育園に入園できたことで生活が整い、夫婦共に仕事を増やしつつ研究を続けることができるようになったのは本当に幸運でした。現在は、新型コロナウイルスの感染拡大にともない、次男が保育園へ行けなくなって三ヵ月がたちます。次々と降ってくる想定外の事態に翻弄され、疲労困憊しながら、夫とふたりで仕事と育児と家事を懸命にやりくりする日々が続いています。

(言語情報科学/フランス語・イタリア語)

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