HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報620号(2020年7月28日)

教養学部報

第620号 外部公開

<時に沿って> 「哲学とは何なのか」について

國分功一郎

620_04.jpg本年四月に総合文化研究科・教養学部に准教授として着任しました。哲学は専門です。特に一七世紀の哲学者スピノザや二〇世紀フランスの哲学者ジル・ドゥルーズのことを研究しています。最近では自閉症について医学と哲学の垣根を越えた研究も進めています。
この『教養学部報』は初代教養学部長であった矢内原忠雄が学生と教員の交流の場として創刊したと聞いています。ですから一教員として、学生の皆さんに語りかけたいと思いますが、話題として取り上げたいのは私が専門とする哲学です。
大学に入学するまでに哲学という科目名の授業を受けたことのある人は決して多くないでしょう。けれども哲学という言葉は世の中でよく使われます。ですから、なおさらのこと、哲学とは何なのか、よく分からないという人が多いと思います。
「哲学を研究して、人生を極めちゃってるんですか?」と聞かれることがごくたまにありますが、もちろんそんなことはありません。哲学の先生方を少し眺めていればそのことはすぐに分かるでしょう。
「真理を追究しているんですか?」と聞かれることも少なくありませんが、これは非常に答えるのが難しい問いです。哲学者たちは何らかの問題に取り組み、答えを出してきましたが、その副産物として時たま真理が手に入ることもあるというのが私の考えです。
「哲学ってなぜを問うんですよね?」とも聞かれることがあるのですが、哲学は決して「なぜWhy」だけを問うているわけではありません。「いかにしてHow」も哲学に欠かせません。思えば、「いかにして」と比べて「なぜ」というのは厄介ですね。理由を一つにしてしまうところがありますから。
「哲学は役に立つんですか?」とも聞かれます。ここからの派生形として、「何の役にも立たないですよね」という攻撃形態と「役に立たないものも大切ですよ」という擁護形態があります。私はまず「役に立つ」という言葉の意味を考えてもらいたいと思っています。この言葉は「その役目を果たすのに適している」という意味です。つまり特定の役目を視野に収めた時に「その役に立つか」と問うことができるのであって、一般的に役に立つものなどありません。
さて、ここまで読んでくださった方は、そろそろ「哲学とは何なのか」についての答えが開陳されるだろうと期待してくださっているかもしれないのですが、私の能力では「専門は哲学です」と言った時にしばしば学生の皆さんから投げかけられる問いに上のように答えるのがせいぜいでして、これ以上はどうかご勘弁ください。
ただ、「哲学とは何なのか」について一つ私が確信をもって言えることがあって、それは、哲学は間違いなく学生の皆さんの知的好奇心に答えることができるものだ、ということです。駒場には哲学関連の科目がたくさん開講されています。ぜひ受講してください。話を聞き、考え、本を読み、「哲学とは何なのか」への答えを、学生の皆さんが自分の手で掴み取って欲しいと思います。

(超域文化科学/哲学・科学史)

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