HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報620号(2020年7月28日)

教養学部報

第620号 外部公開

<時に沿って> すみっこぐらし

沖本幸子

「すみっコぐらし」というキャラクターが人気らしい。部屋の片隅にのほほんと身を寄せ合う、動物や海老フライのしっぽ、お化けやほこりなどなど。思えば私自身、すみっこぐらしを続けてきた。
高校時代、多くの仲間たちが世界に羽ばたき、社会に役立つ人になろうと夢見るイケイケの学校にいたので、すっかり怖じ気づき、大学では日本文化、しかも伝統的な芸能の勉強がしたいとぼんやり思っていた。能のサークルに入るつもりでいたのに、こぢんまりとした温かな雰囲気に惹かれて狂言研究会に入ってしまったのもなにかのご縁。進振りの時も、なるべく地味で地道で、いい加減な私一人では身につけられないことが身につきそうなところにいこうと心に決めた。
そこで、文学部の国文科に進学したが、周囲の知識量と研究室を埋め尽くす本とに圧倒されて、それこそすみっこでおとなしくせざるを得なかった。今様という平安末期の流行歌に関心を寄せ、その芸論『梁塵秘抄口伝集』で卒論を書き、「これは文学じゃありませんから」と審査の席で言われて初めて目が覚めた。歌謡研究が文学研究として認められない時代が長かったことも後で知ったが、当時の主流が歌詞研究だったにもかかわらず、歌詞分析を一切せず、もはや失われた今様の歌声や、その宗教性などに関心を寄せていたからだ。
修論は、今様の興じられた場の変遷を史料から追いかけたもので、中身は宮廷宴会芸の歴史。またしても文学研究にならなかったが、そもそも芸能研究の主流も能・狂言、歌舞伎、文楽など、今に生きる伝統芸能だったから、今はなき芸能にばかり心を寄せてしまう点でも大きくはずれていた。
一方で、大学院時代、沖縄の芸能に熱を上げ、西表島の祭りの手伝いに足繁く通っていたものだから、沖縄なしの生活など考えられなくなり、修士を修了してから一年間の沖縄暮らしを経て、たどりついたのは、なんと駒場の表象文化論コースの博士課程だった。しかしそこは、学部生の頃「真っ黒軍団」と密かに呼んでいた近寄りがたい場所だったし、横文字文化圏の人たちが圧倒的で、私のように縦書きでレジュメを作る人など絶滅危惧種。ここでも文字通り「すみっこ」だった。
さらに最初の就職先は、青山学院大学総合文化政策学部という、都市と未来志向のクリエイティビティを重視する新設学部で、地方と伝統文化に関心の高い私がすみっこぐらしだったのは言うまでもない。
縁と運とがからまりあって今に到るが、ここまでなんとか生き延びてこられたのは、ひとえに、恩師、同僚、仲間たちの寛容さゆえ。それからもう一つ、私自身がやはりすみっこ好きなのだと思い至った。すみっこには、どことなく外からの風も吹いていて、はずれているからこそ、見えてくる風景もある。
そういうわけで、これからもすみっこぐらしを続けていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

(超域文化科学/国文・漢文学)

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