HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報621号(2020年10月 1日)

教養学部報

第621号 外部公開

<時に沿って> 懐かしい駒場の私

張政遠

五月一日に総合文化研究科に着任しました、張政遠と申します。専門は西田幾多郎を中心とした日本哲学です。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で日本へ入国できず(九月一日現在)、香港からオンラインで授業をしたり、会議に出たりして勤務しています。駒場の教壇に立つ日を首を長くして待ちながら、ある懐かしい記憶がよみがえりました。
はじめて駒場を訪れたのは、二十年前のことでした。国費留学生で東北大学に入学した私は、指導教官の野家啓一先生が駒場で行われるポスト・モダニズム研究会で発表されるとのことから上京し、同研究会で蓮實重彦先生・高田康成先生などのご発表も拝聴しまして、大変刺激を受けました。
二〇〇七年に留学生活を終えて、香港に戻って教鞭を執りましたが、翌年に同じく香港出身の林永強さんと一緒に「共生のための国際哲学研究センター(UTCP)」を訪問し、研究連携の可能性を打診しました。小林康夫先生・中島隆博先生・デンニッツァ・ガブラコヴァさん・西山雄二さんが親切に迎えてくださり、「まったく新しいスタイルの哲学を生み出す」という試みに強く共感しました。また、二〇一〇年には村田純一先生が主催した技術哲学研究会ではじめて駒場で発表しました。
震災後、哲学を教える者として何ができるのかを模索した結果、公開シンポジウムと被災地ツアーという企画に参加しました。仙台市若林区にある「浪分神社」へ参詣しましたが、その立地は慶長地震の津波が到達した場所にあるから、浪(波)が分かれた神社と呼ばれています。同行された遊佐道子先生は、この参詣は「巡礼(pilgrimage)」だとおっしゃいました。
『古寺巡礼』という和辻哲郎の作品がありますが、私が考えた「巡礼」は聖地や名刹などを巡るだけではなく、被災地も戦争遺跡も巡礼の対象となります。また、何もない場所にも忘れられた過去があり、それをよみがえらせるのが巡礼だと思うのです。この考えが駒場で発表した「3.11 and Japanese Philos­ophy」「Restoration and Philosophy after 3.11」「Fukushima and the Future of Japa­nese Philosophy」で次第に深化し、また石井剛先生・村松真理子先生・林少陽先生などが関わった「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」の企画で、院生たちと一緒に仙台・沖縄・香港を巡礼することができました。
回顧すれば、駒場で知り合った多くの師友のみならず、坂部恵先生・高橋哲哉先生・黒住真先生をはじめ駒場に居られた先生方からも大きな刺激を受けたから、今の私があるわけです。今後、地域文化研究専攻と中国語部会のほかに「東アジア藝文書院(EAA)」に拠点を置きながら、研究と教育だけではなく、人と人とを繋げることにも力を注ぎたいと思っています。

(地域文化研究/中国語)

第621号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報