HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報622号(2020年11月 4日)

教養学部報

第622号 外部公開

「美術館女子」は何が問題だったのか

加治屋健司

アメリカの作家ジョン・アップダイクの小説に「美術館と女たち」(一九六七年)という短編がある。主人公の男が、自分の母や妻、女友達と美術館を訪れたときのことを語る話である。少し前に「美術館女子」という言葉がSNS上で「炎上」したとき、この短編のことを考えずにはいられなかった。本稿では、「美術館女子」とは何だったのか、そして何が問題だったのかを考え、最後にアップダイクの小説の問題に戻りたい。
「美術館女子」というのは、読売新聞と全国の公立美術館約一五〇館が加盟する美術館連絡協議会が企画した特集である。AKB48チーム8(AKB48内のグループで各都道府県から一人ずつ選出されるチーム)のメンバーが「各地の美術館を訪れ、写真を通じて、アートの力を発信していく」というもので、美術館が好きな女性を意味する「美術館女子」を導き手として、写真とともに、美術や各地の美術館の魅力を伝えようとする企画であった。
第一弾として、六月十二日に、チーム8東京都代表である小栗有以が東京都現代美術館を訪問した記事がオンラインで公開されると(翌日の紙の新聞にも掲載された)、SNS上で批判が相次ぎ、新聞などでも報道されて、二十八日までに記事が削除された。
オンラインの記事は、三十六枚のスライド形式で、小栗が美術館で開催中の「MOTコレクション いま─かつて 複数のパースペクティブ」展や「ドローイングの可能性」展を鑑賞したり、館内各所を巡ったりする様子を写真で示しながら、展示作品や美術館の感想を寄せるというものだった。その写真は、作品などを背景にして小栗がメインで写っており、カメラの方を向いてポーズを取る写真も多数あった。美術や美術館の魅力を伝える企画でありながら、作品よりも小栗を見せることに主眼が置かれていた。
写真に添えられた小栗のコメントには、次のようなものがあった。
「アート作品と共演するということで、今日のコーデは、作品のパワーに負けず、且つ、うまくなじむ色を意識してみました。映え写真、いっぱい撮れるかな?」「知識がないとか、そんなことは全然、関係なし。見た瞬間の「わっ!!」っていう感動。それが全てだった」「最初は私に芸術って理解できるのかな、って不安でした。でも、言葉とか理屈じゃなくて伝わる何かがあって、パワーに圧倒されました」「どこを切り取っても絵になる美しさがあって、こんな贅沢な映えスポットが身近にあるなんてびっくりしました」。
こうした感想を抱くことは個人的にはあるだろうが、新聞で見たら違和感を感じる人もいるのではないだろうか。
まず、作品を見るにあたって、「言葉とか理屈」ではなく「感動」が強調されている。もちろん前提知識なく作品を見て、心を動かされることはある。しかし、数多くの美術展を手がけてきた新聞社や美術館ならば、感動で終わらせずに何らかの学びや理解を促すような道筋をつくるべきだろう。
そして、何よりも問題なのは、この学びの不足・欠如がジェンダーの不平等と結びついている点である。この記事は、作品を見るにあたって理解を求めず感動するという無知の観客を描いた上で、その役割を女性に担わせているのである。女性をもっぱら見られる存在として描いているのも問題である。
また、本記事は、美術館を「映えスポット」とみなして写真撮影の場所としている点もひっかかる。たしかに、昨今の美術館には、撮影スポットが設けられており、自由に撮影してよい場所や作品がある。撮影スポットで写真を撮ることの楽しみや喜びは否定されるべきではない。しかし、美術館を「映えスポット」と呼んで、各所で「映え写真」を撮ることばかりに力点を置くのは、美術と美術館を後押ししようとする記事として全く適切ではない。
そもそも、現代美術とは、まさにこのような無理解や不公正を問題にして批判してきた。現代美術がこのような旧態依然とした芸術やジェンダーに関する価値観を広めるために使われたのはとても残念である。「MOTコレクション」展に作品が展示されていた草間彌生は、男性中心主義的な戦後美術の世界で格闘してきた女性美術家で、まさに主体としてあることの意義を身をもって示してきた。その草間の作品を背景にして、もっぱら見られる存在としての無知な女性を描くのはグロテスクというほかない。
冒頭で紹介したアップダイクの短編は、美術館と女性たちは似ているという話で始まる。それが意味するのは、どちらも魅惑の対象で、主体性を欠いた、見られる存在であるということであった。半世紀前、アメリカを代表する文芸誌『ニューヨーカー』にこのような文章が出ても問題にならなかったのかもしれない。だが、そのような女性の描き方はもはや不可能であることを、「美術館女子」の「炎上」は明確に示したのである。

(超域文化科学/英語)

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