HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報622号(2020年11月 4日)

教養学部報

第622号 外部公開

私が美術史家になるまで

三浦 篤

私はいつ頃から西洋美術に惹かれたのか。おぼろげな記憶を探ると、高校時代に図書室で偶然手に取った大判の画集が思い浮かぶ。中でも、レオナルド・ダ・ヴィンチの《岩窟の聖母》が心に刺さり、繰り返し見ていた。レオナルドを普通ではない別格的な画家と見なす素地は、この頃にできたのだと思う。地方在住の高校生にとって、西洋美術の画集は未知の世界へ通じる貴重な扉であった。
大学に入って美術史の研究に開眼したのは、講義や書物に導かれたからだ。恩師高階秀爾先生の『名画を見る眼』に出会って、絵画を読み解くわくわくするような面白さを教えられなかったら、別の道に進んでいたかもしれない。また、阿部良雄先生の『群衆の中の芸術家』を読まなかったら、十九世紀後半のフランス絵画を専門としていたかどうか分からない。結果として、マネの絵に心奪われた私は、卒論のテーマをこの画家にしようとすぐに決めた。ただし、この時点でマネの作品はまったく見ていない。
大学四年の夏に運よくフランスで語学研修の機会を得たので、終わってから約一ヶ月かけて、ヨーロッパの主要美術館を駆け足で回った。パリではルーヴル美術館の質と量に圧倒され、ジュ・ド・ポームの印象派美術館(後に開館するオルセー美術館の展示よりもずっと良かった)では、マネの絵に感銘を受けて、卒論への情熱をかき立てられた。また、フィレンツェのウフィツィ美術館ではイタリア・ルネサンス絵画にため息をつき、ロンドンのナショナル・ギャラリーでは有名作品の連続パンチでふらふらになったのを覚えている。
そして、プラド美術館でベラスケスと遭遇した。レオナルドを別にして、私にとっての西洋絵画史はベラスケスからマネにつながる系譜に集約される。フランス語を学んだのでマネを研究したが、スペイン語を習得していたら、ベラスケスで論文を書いたに違いないというくらい、ベラスケスには興味があったし、大好きな画家であった。本物の《ラス・メニーナス》を前にして、格調ある完璧なレアリスムに感動していた。一八六五年にプラド美術館を訪問したマネが、ベラスケスを絶賛したことを知るのは、もっと先のことである。
無事に卒論を提出し、本格的に研究者を目指して大学院に入学した。マネへの関心は持続し、修論も《フォリー=ベルジェールのバー》で書こうと決心した。天の配剤か、一九八三年にパリのグラン・パレでマネの大回顧展が開かれるという。これを観ないで修論を書くわけにはいかない。意を決してパリに飛び、マネ展に通い詰め、電話帳のような分厚いカタログも入手した。修論の出来はともかく、作品をじっくり観て研究成果を咀嚼し、論文に生かせたのは幸いであった。
実は《フォリー=ベルジェールのバー》を、私はさまざまな機会に計十回は観ている。何度見ても飽きないのだ。美術における名作とは何かと尋ねられたら、繰り返し見られることに堪える、という条件を挙げよう。見るたびに新たな発見のある、豊かなポテンシャルを帯びた作品を、私は傑作と呼びたい。そんな作品とじっくり付き合える美術史家という職業の幸せを、改めて感じている今日この頃である。

(超域文化科学/フランス語・イタリア語)

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