HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報622号(2020年11月 4日)

教養学部報

第622号 外部公開

ヒト抗体を迅速に作製する技術

瀬尾秀宗、太田邦史

我々が新型コロナウイルスなどの病原体に感染すると、体内に存在する免疫系がこれらを異物として認識し、無毒化・排除する。そこで極めて重要な役割を担うのが抗体というタンパク質である。抗体は多様な異物(抗原)に対し一対一に特異的に結合する。そのため、診断薬や医薬品として利用されている。例えば癌細胞を排除する抗癌薬、慢性炎症を抑える治療薬などが存在する。これらは抗体医薬と呼ばれ、薬効に優れ安全性も高いため、近年医薬品として大きな市場を獲得している。
抗体の作製は通常実験動物に抗原を注射して行うが、抗体医薬に至るまでは多大な労力と作製期間を要する。なお、実験動物で作った抗体は人体では異物となるため抗体医薬にするには「抗体のヒト化」という工程が必須だが、これは煩雑な上、活性低下を招く懸念がある。今回発表した技術は、鳥類免疫細胞を利用して動物を用いずヒト抗体を迅速、簡便に作製する方法である(Seo et al., Cell. Mol. Immunol., 2020)。
多種多様な異物に対抗するには多種多様な抗体が必要である。生物は基本的にゲノムDNAの組換えで抗体の多様性を創出している。詳細は省略するが、鳥類の抗体遺伝子は機能的な物は一つしかないが、図1のように遺伝子のシャフリングで多様性を生み出す。私達は以前、DT40細胞という鳥類の免疫細胞にある種の薬剤(DNAによらない細胞遺伝の仕組みであるエピゲノムを撹乱する)を作用させると、この抗体遺伝子の多様化が著しく加速することを発見した。この現象を用いてランダムに変異した抗体遺伝子を有する細胞集団を作り、そこから試験管内で目的の抗原に特異的に結合する抗体を産生する細胞を選別し、抗体を迅速に作製する「ADLibシステム」を開発した(図2)。
ただこのADLibシステムは、鳥類の抗体を産生する。そこで次に、直接ヒト抗体を産生する「ヒトADLibシステム」の開発を行った。DT40細胞は、ゲノムDNAを遺伝子ターゲティングという方法で改変することが容易である。この性質を利用し、DT40細胞の抗体遺伝子とシャフリングの鋳型となる配列をヒト抗体の配列情報を元にヒト型に置き換えた。この際、近年技術展開が著しい長鎖DNA合成技術や配列解析技術を駆使した。この人工細胞に前述のエピゲノム攪乱試薬を作用させると、多様化したヒト抗体遺伝子をもつ細胞集団を生み出すことに成功した。実際にこの技術で、癌や自己免疫疾患等の創薬標的分子に対して抗体作製を行い、試験管内での薬効を示す機能性抗体の迅速な作成に成功した。
この技術のもう一つの強みは、抗体の機能改善(抗体の抗原への結合力の増強)が、一連の操作でシームレスに実現できる点である。なお、抗体医薬では、結合力の強い抗体ほど高い薬効が期待できる。具体的には、一度得られた抗体産生細胞を再度多様化させ、そこから結合力が増強した細胞を単離する。丁度進化のプロセスを試験管内の細胞で実現するイメージである。この手法で約百倍もの結合力増強に成功した。結合力が増強した抗体は、元の抗体と比較して試験管内での薬効も向上していた。
ヒトADLibシステムは、人体内の免疫システムを試験管内で再現する系であり、1.迅速性、2.独自性(生体の免疫では抗体が作り難い抗原があるが、試験管内系だと無限の可能性がある)、3.拡張性(結合力の増強が容易など)、といった優れた特性を有している。これにより、従来にない抗体医薬候補の創出が期待されるほか、病原体への新たな対抗手段としての役割が期待される。

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(生命環境科学)
(生命環境科学/生物)

※本成果は、ADLibシステムを事業展開している株式会社カイオム・バイオサイエンスとの共同研究によって行われた。

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