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最終更新日:2021.02.03

教養学部報

第623号 外部公開

トレードオン関係を発見し、育てよう。

小林 光

imgae623_1_1.jpgSDGs(国連の採択した「持続可能な開発目標」)がいろいろな所で目につく。背広の襟に、輪になったSDGsカラーのバッチを付けているビジネスマンも電車でしばしば見かける。電車のラッピングにも、新聞の企業広告にもSDGsが登場する。SDGsの何が、ビジネス界に受けているのだろうか。そこで例えば、経団連のHPを見ると、SDGsの特設サイトができていて、ここでは、SDGsの達成が、インノヴェイティブな新たな商品やビジネススタイルの開発に役立つ重要な刺激になることに多くの頁を割いている。これまでは、環境といった公益上の目標はビジネスの制約と受け止められることが多かったが、それが逆転し、公益への寄与が付加価値の源泉になり得るという風潮になってきた。
その原因は多岐に分析できよう。
一つには、機関投資家、例えば我が国で言えば、GPIF(年金積立基金管理運用独立行政法人。ちなみに世界最大の運用資産〈一兆ドル以上〉を持つ機関投資家と言われている。)などが、その資金の運用先を、ESG投資の考えで選ぶ、ということが徹底してきたからであろう。ESGとは、環境、社会、そしてガバナンス(企業統治)の英語の頭文字を綴ったものであるが、そうした観点でネガティブスクリーニングをして、不適格な企業は資金運用先から外すのである(加点に使う例もある)。安定的な資金供給元の運用先から外されることは企業の株価維持から考えても致命的で、経営においてESGに配慮することは、今や当たり前のことになっている。
しかし、当たり前になってしまえば、威嚇力はなくなるが、それ以上の人気がSDGsには見て取れる。
論者としては、ビジネスの利益の源泉が本当に枯渇してきた、という思いが、経済界のリーダー達には出てきたのではないかと考えている。長持ちで性能に優れた良い品質のものを安くたくさん作って稼ぐモデルは洗練の極みに達し、お陰様で、従来の製品に対する需要は衰退し、価格も底値のデフレ経済が誕生してしまった。私自身、一昨年米国にほぼ一年滞在し、教鞭を執っていたが、正直、物価の高いのには辟易した。日本は、先進国ではもっとも安い物価で生活できる国になった(もっともこの過程で、普通の生活者の所得も低く抑えられてしまい、それがディマンド・プルの成長を妨げていることも見逃せない。)。しかし、労働者への報酬を引き下げてさらに利潤を稼いで成長しようと企図しても、その余地は既に乏しい。論者が社外取締役をしていた経験から見ると、企業の財務諸表をかろうじて支えるのは、低金利の原資での成功ビジネスの買収になっていたが、これとて日本に特別の目利き能力があるわけでなく、大きな可能性は残されてはいなかろう。儲けの源泉は、低コストの追及ではもはやなくなり、新しい需要の開拓が必須になったのである。高度成長期以来積み上げてきたストックをなんとか使いまわしてきた時代、すなわち失われた二十年(もはや三十年か)の耐用年数がようやく切れつつある。困ったな、とこうして思い出した日本に配慮してくれたわけではないが、そこに国際的に登場したのが、SDGsである。
SDGsとは、その一世代前のミレニアム開発目標がもっぱら途上国の底上げを目指していたことに対し、先進国においても実現が目指されるべき、人類社会全体の目標である。健康から経済、人権、そして人類共通の棲み処である環境との関係を幅広くカバーした十七の目標、その下に置かれた一六九のターゲット、さらにそれらをモニターする、二三二(再掲を除いた純計)の指標からなる体系がSDGsである。全人類の共通の理想をまとめた、という特色が一つである。人類が共通の目標を持つことにはいろいろなご利益がある。例えば、この目標を国連総会が決定したその同じ年(二〇一五年)の十二月に採択に漕ぎつけたのが、地球温暖化防止のパリ協定だが、中国、インドを含めた途上国と先進国のすべてがそこにスムーズに参加できた背景には、人類社会のあるべき姿が国を超えて共有されていたこと、言い換えれば、国際交渉の外堀が埋められていたことが奏功したとの見立てがある。
全人類の目標、ということに加え、論者なりに、この目標について特色をさらに加えていくとすると、それが、できそうな積み上げで作られたものでなく、かくあるべし、というゾレンを示したものだ、ということを言いたい。これが第二の特色と言えよう。したがって、これから、いわばゼロベースで、想像力を逞しくして、その達成の方途や道筋を考えることになる。冒険が奨励されているのである。
第三には、この目標はパッケージだということも指摘したい。単純化すれば、二三二次元のベクトルみたいなもので、指標相互、あるいは目標相互に無数の競合関係あるいは相補的な関係をはらんでいる。したがってその達成には、多視点のアプローチ、複眼思考が不可避となる。
imgae623_1_2.jpg論者にとって、この第三の特色こそがSDGsを新ビジネスの開発に援用する際の最大の利点になると思われる。数学的なことは分からないが、世の中には、実際には、図Aにあるようなトレードオフ関係も多数あろうが、実は、図Bに示すようなトレードオン関係がもっともっとあるのではなかろうか。つい先日、私はたまたま、米国ミネソタ大学のティルマン教授に遠隔インタビューをする機会を与えられた。教授は、日本の旭硝子財団のブループラネット賞を受賞されたが、その記念インタビューであった。その授賞理由は、生物多様性の価値・役割の実証的な研究であり、私は、特に、多様性があることが、単に生物の重量で測った生産性だけでなく、例えば人間の健康や災害へのレジリアンス、さらには人間の経済といった多次元の指標でもって有益なものである、と主張されていた点に印象付けられた。多様な生物種の間なり、人間社会の多数のプロフェッションの間なりで、交換される価値の種類や量が多いシステムこそ、引き合うシステムとして生き残り発展していくのではないだろうか。多様性に利益の源泉を見出すことは、駒場キャンパスが標榜するリベラル・アーツ教育やインターディシプリナリーな研究の創造性に通じるところでもあろう。異なった価値の間のトレードオン関係が進化を産むのに違いない。
SDGsに日本の大人達が仕事の中で真面目に向き合うこととなれば、この目標の持つ特色、すなわちゼロベース思考で、トレードオンを模索する考え方から見て、大きな革新をもたらす可能性があると思われる。それは、焼け跡の上に七十年余にわたって延々と築き上げてきた既得権や縄張り意識が破壊されることが期待できるからである。
縄張り意識と言えばその最たるものは、役所である。縦割り主義は、責任を明確にし、能率を高めるが、他方で、複眼思考を殺す。環境に百点満点で福祉には零点の政策案は、環境に八十点で福祉にも八十点の政策案に勝るのである。新・菅内閣は、縦割り行政打破を看板に掲げる。そのために、突破力に優れると目されている河野太郎氏を行革担当大臣に据えた。河野大臣におかれては、政府各省庁に対して、例えば、SDGsに照らした政策アセスメントを実施するよう義務付けたらどうだろうか。「二番ではだめですか」で有名な無駄減らしについては、ここ十年でお陰様で随分と徹底され、もはやデフレ行政の感がある。これからは縦割り排除の複眼思考でもって、諸々の公益の間のトレードオンを発見し、行政が産む利益の全体的な増進を図るプラス志向で行革を進めて欲しいと願っている。

(広域システム科学)

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