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最終更新日:2021.02.03

教養学部報

第623号 外部公開

<送る言葉> 半端ない。ぶれない。

広瀬友紀

伊藤先生の授業がきっかけで言語学を選んだと語る学生さんは毎年きくが、彼らは皆、知的な幸福感に溢れて誇らしげだ。人間の持つ言語知識には、演算規則と語彙記憶の両方が関わっていて、伊藤先生のご研究の中心にあるテーマは両者のしくみやその関係を理論言語学と心理言語学・脳科学の両観点から探ることである。一人の研究者として、大学生、大学院生はもちろん、中高生を含む多くの若者に「言語とは人間とは何と不思議で魅力的か」という気づきの種をまき続けてこられた。言語教育分野においては、教室では一教員として直接接する学生さん達を知的刺激で魅了しつつ、一方本学の教育改革にも、さらには我が国の言語教育や教育行政をめぐる議論に至るまで多大な貢献をされている。
さて私が本学に二〇〇五年に着任するまでは、伊藤先生のことは学会等で遠くからお見かけする程度で、そのお人柄については失礼ながら「怖そう」(見た目で判断)くらいの印象しかなかった。が、着任間もなくの頃「忙しすぎるし要求レベル高いし(駒場は)やっぱりしんどいですねえ」と弱音をはいたら、「まだまだ!」と鼻で笑われたのを覚えている。でもそれがなぜか嬉しかった。「あなたならまだまだできるでしょ」っていう意味だったんですよね(違いました?まあいいや)。
自分は東大駒場には特に個人的な縁も思い入れもないスタートではあったが、今ここで働くことができて猛烈に幸せだと思えている理由は、伊藤先生という半端なく絶対的なロールモデルの存在だと思っている。「迷ったときはより困難な道を選べ」とはよく言われるが、私は「伊藤先生だったらどう判断されるだろう」と想像する。人として教育者として科学者として、何がフェアなのか一切ぶれない理想の答えはきっとそこにあると信じられる。そんな北極星みたいな人と一緒に仕事できるってこんなに幸いなことがありますか。ただ理想と自分自身の能力・良心の限界は一致しないので「伊藤先生だったらこうするだろうけど自分には無理だからいいや」が最終判断であることも多々ある、いや結局毎回それなのだが、それでもいつか近づくべき理想が何かは意識し続けたい。常にそれを示してくれる存在があるのだから。
弱者に優しく強者にも妥協せず。「私は統計はサッパリ分からないんですけど」といいつつデータやロジックの矛盾には誰よりも鋭い指摘。組織や体制の流れの中でおかしいことを当たり前におかしいと言うことでその流れを変えることができることを目の当たりに学ばせてくださった駒場の多くの先生方の中にも伊藤先生はいた。教えや助けを請うメールには相手を問わずレスが速い。伊藤先生本当は六人くらいいる説の所以である(勘違いや勉強不足な質問へのレスは「ええと、」で始まる)。ついつい甘えてしまってごめんなさい。半端ない三十余年のなかでは強すぎるゆえのつらさも経験してこられたに違いないのに。
ここまで書くとただ「尊敬してます崇拝してます」で終わってしまいそうだが、弱い凡人の私は、そんな伊藤先生にも何かダメなところはないか尻尾をつかんでみたいものだと考えつつ十五年経ったが結局よくわからなかった。幸い伊藤先生との共同研究はまだ続きそうなので、今後の検討課題としたい。

(言語情報科学/英語)

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