HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報623号(2020年12月 1日)

教養学部報

第623号 外部公開

<本の棚> 金栄敏 著・三ツ井崇 訳 『韓国近代小説史1890-1945』

崔泰源

今日、ハングルなき韓国文学は想像すらつかない。ところがハングルは十五世紀に創られて以降、長い間文字文化の周辺に留まっていた。十九世紀に漢文の独占的な地位が揺らぎ始めると、書記体系の再編成が試みられた。学校やメディアによる知識の大衆化が進み、啓蒙の手段として叙事(物語)が脚光を浴びるなか、ハングルの役割も大きくなった。この地殻変動のなかで韓国近代文学は幕を開ける。
長年にわたり膨大な資料を渉猟し、近代文学研究の第一線で活躍する著者は、ハングルで書かれた近代小説の発生と展開について、問い続けてきた。多数の研究書と資料集を刊行した著者は、事例を丹念に拾い集め、新聞の社説欄から「叙事的論説」という近代小説の萌芽を見つけ出した。叙事的論説とは著者が創り出した概念で、社説欄に書かれた寓話や風刺、あるいは物語を加味した社説を意味した。この背景には、文学を愛国啓蒙の手段とした知識人の存在があった。
著者にとっての文学史は概念の自己展開ではない。西洋や日本の近代小説と異なる、韓国特有の経路があるはずという仮説のもと、著者は従来のように十七~十八世紀朝鮮のハングル小説へ遡るのではなく、外部からの衝撃や伝統との断絶に着目する。叙事的論説は、そこから掘り起こされた「発展の契機」であった。移植と伝統の二項対立を拒む著者は、叙事的論説を新たな研究方法論として活用する。
本書は、上記の問題意識を制度・言語・様式の側面から丁寧に紐解く。第一部では、叙事的論説が事件記事と小説欄の続き物を経て、短編小説へと至る経緯を扱う。さらに作家や出版社、著作権や原稿料、投稿と懸賞など文学作品の生産・流通・消費に関する制度についても考察する。言語や文学、メディアや出版など当時の言語文化を一望できる点は、本書の大きな魅力である。第二部では、ハングルで書かれた朝鮮語が近代語になるまでの過程を解明する。近代初期の新聞や雑誌はそれぞれの理念に従って表記法と文体を選択した。メディアの選択は世界観の表明、また読者を得るための政治的、商業的戦略でもあった。そのなかで漢字とハングルの混用、附記、併記など様々な試みが行われた。仮名のルビを付けることや日本語の併記、その他に日本語にハングルのルビを付けることもあった。本書に引用された当時の文体に目が眩むかもしれない。だが原文に忠実な訳文により、その様相は日本語でもひしひしと伝わってくる。日本における近代初期の韓国文学に関する研究は、本書をきっかけに新たな段階へと進むだろう。
第三部では、長編小説への様式変移にふれる。ハングルは多様な言語実験のなかで文学語として鍛えられ、小説を媒介とする新たな読書共同体が構築された。「ハングルの叙事的論説の掲載が新しい文学史の出発を告げる信号なら、多くの大衆と知識人たちが同じハングル作品を読んで共感し交流することで、朝鮮近代文学史は一つの段階を完成させた」と、著者は述べる。ハングルで書かれた近代小説の嚆矢として、李光洙の長編小説『無情』(一九一七)が挙げられる所以はここにある。漢字表記はその後も長らく続くが、文体としての漢文はすでにその力を失っていた。本書ではこの変化を「口語体の実現」と捉え、対話・時制・待遇表現などからハングル体が精錬される様子を詳述する。『無情』から一九四五年に至る道のりは、新聞に連載された長編小説の詳細な目録によって描かれる。著者は翻訳と翻案、古小説や野談の大衆物語、読者投稿の長編物からも目を離さない。ありのままの事実から歴史を組み立てる著者の姿勢には、改めて脱帽せざるを得ない。
韓国朝鮮学に関わる者にとって本書は必読の一冊だが、社会性の強い韓国小説に惹かれた読者も、思いがけぬヒントが得られるだろう。『無情』は日本語にも翻訳されている。本書とともに、ぜひ一読を勧めたい。

(教養教育高度化機構)

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